<塾長語録>

            四季の森武道塾通信 「正心」塾長のひとことより  


この度は伊賀流手裏剣大会で優勝することができ、皆様の応援ありがとうございました。
結果と共に、会場で今回野口晃希君と日頃鍛錬した最高の演武を披露し奉納することができ
て、四季の森武道塾の名前が一挙にクローズアップされ知れ渡ることとなりました。また結果
以上に嬉しかったことは、この手裏剣大会に向けて集中的に手裏剣の稽古をする中で色々な
気付きがあったことです。特に大会出発の前日に気付いた事は「的は自分の中にある」という
ことでした。手裏剣の的に向かい自分と的をつないだ時に身体の中に的が写っているというこ
とで、その身体の中に写った的に意識を集中して手裏剣を打ち込むと的に当たるという事を発
見しました。そして最近では、これを人対人で置き換えて稽古する事で相手が自分の身体の
中に写り、そこに意識を集中していると、相手の動く気配がハッキリと伝わってくる事がわかり
ました。これが武道で云うところの「水月」とか「明鏡止水」という境地ではないかと思われま
す。手裏剣大会は、中学生以上なら誰でもエントリーできます。今後、武道塾からたくさんのチ
ャレンジャーが現れることを期待しています。              (第102号 H26.12.4)
              



  −暗闇と親しむー 
近頃、暗闇の森の中を散歩しています。日頃見慣れた森の道も、日が沈んだ後は別世界とな
ります。暗い森の道を歩く時は懐中電灯など灯りは点けません。月灯り、星灯りあるいは雲に
反射した街の灯りを頼りに歩きます。逆に灯りを照らすと大きな闇の世界に包囲されている自
分を感じて怖さを感じるのです。灯りを消して暗闇に同化してしまうと自分の身体も見えなくな
り自然の森との境もなくなって自分がまるで透明人間にでもなったかの様な感じになります。
視覚に頼れない代わりに臭覚が敏感になります。草木や土の匂いがはっきりと感じられ肌は
空気の流れや温度をとても敏感に捉えるようになります。また不思議な事に昼間登ると息が切
れそうになる220段の階段も暗闇では息も切れずとても楽に登れます。小一時間ほど森の闇
の中を散歩して街の中に戻ってくると街灯の灯りがとてもまぶし過ぎることに気が付きます。現
代社会では夜の電灯の明るさが人の神経のバランスを崩し睡眠障害やうつ病の原因の一つと
も言われています。皆さんご存知のように先月から道場では天井の蛍光灯を取り外しその代
わりに間接照明を二つ取り付けました。以前に比べて薄暗くなりましたが、とてもみんな落ち着
いて稽古に集中できているようです。闇を怖がったり嫌うのではなく親しむ事で今までとは違っ
た感覚や景色を楽しむことが出来るのです。              (第101号 H26.11.4)





  ―正心 100号― 
この正心も今回で100号となりました。思い起こせば8年半前、私が武道塾で古武術の指導を
しようと思った動機は、日本を誇りに思い心から愛することの出来る人を育てたいと思ったから
です。戦後、日本の教育は日本文化の素晴らしさを教えず、やがて日本人は欧米文化に骨の
髄まで浸り国の誇りを失ってしまいました。今でも愛国心=軍国主義のような一方的なイメー
ジが定着していますが、私は武道をやっていたおかげで日本文化の良さというものを身をもっ
て感じていました。そしてやがて古武術に出会ってからは、日本人が古来より培ってきた身体
文化の凄さ、深さに魅せられその根底にある「和」の文化の普遍的価値の重要性を知るに至り
ました。さらにこの「和」の文化は、今世界が直面している様々な問題を解決できる鍵となるの
ではないかと思うようになりました。日本の古武術は、「和」の文化を体現した日本独特の身体
文化です。知識のみで日本の素晴らしさを知るのではなく稽古を通じて実感し「和」の文化を体
恤することが出来るのが古武術なのです。四季の森武道塾は、「合気道」や「忍術」を通してよ
り幅広い世代に日本の身体文化を学んでもらい、この国が大好きな人を育てるとともに「和」の
精神をもって、より良い社会作りに貢献できる人材の育成を目標としています。さらに青少年に
は日本人としての誇りと自信をもって世界で活躍し、日本文化の素晴らしさを海外にアピール
することの出来る真の国際人になってほしいと思い日々指導をしています。
  (第100号 H26.10.1)




近年、世界的に自然災害が猛威をふるっている。日本でも、想定外といわれるような自然災害
が頻繁に起こるようになった。地球の自然環境が大きく変化してきているのだ。それに対応で
きない事で災害となってしまっている。そして、大きく変化しているのは自然環境だけではな
い。人間社会も大きな変動期にあるようだ。このような時こそ、古武術的感性が必要となる。
ルールのない戦いの中で生まれた古武術は、すべてが想定外の中で生き残る為の術である。
昔日の武術家たちがそのような中で悟ったのは、状態に応じて千変万化する水の性質や、い
くら強い風に吹かれても折れる事のない柳の枝のしなやかさであり、つまり居着くことのない心
と体の構えであった。そしてそれを流派の奥儀とした。人は安心を得たいが為に固定観念を持
ったり、何かの権威や主義に依存しようとする。しかし、自然界を見れば何一つ変化しないも
のはない。常に移ろい行くのが大自然の法則である。この大変動の時代に必要なのは既成概
念にとらわれず、自らの感覚を信じ勇気を持って行動できる古武術的人間力ではないかと思い
ます。                                      (第99号 H26.9.3)




  「古武術で対人関係を鍛える」
世の中は人と人との関係で成り立っていますが、近年、携帯電話やパソコン、ゲームの発達に
より対人関係の苦手な人が増えています。それにより職場やご近所での人間関係のトラブル
が多くなっているようです。古武術は元来、生死をかけた戦いの場で生き残るために編み出さ
れた工夫、研磨されてきたものです。つまり極限状態の中で人が人に対してどのように対応す
べきかを訓練するのが古武術の稽古なのです。現代は刀を振り回して戦う時代ではありませ
んが、真剣勝負の中から学ぶべきことが現代社会には多くあるのではないかと思います。
                                         (第98号 H26.8.7)



武道塾の稽古では、まず基本で習うのが受け身です。受け身は投げられた時、倒れた時、い
かに身を守るかという身体の使い方です。受け身が身に付いてくると倒れたり転ぶのが怖くな
くなり思い切った動作が出来るようになります。これは人の教育にも通じるものです。小さい頃
から何事も失敗しないように、失敗する事を厳しく戒めて育てられると、失敗を恐れ慎重すぎる
性格となり、いざ大きな失敗をした時に立ち直ることが難しくなります。子どもの頃は失敗をと
がめず何事にも挑戦する気概を育て、むしろ“失敗から学ぶ事の大切さ”を教えた方が大らか
で落ち着いた性格になります。人生において失敗は転んだ時の受け身の稽古と言えます。
そのような姿勢を子どもの頃に身に付けさせれば人生をたくましく生き抜く大人に育ってくれる
ことでしょう。                                  (第97号 H26.7.7)



  「コツをつかむ」
日本では技術修得の要領を得る事を「コツをつかむ」と表現する。「コツ」とは「骨」の事。昔の
日本人が骨に集中して身体を使っていたのでこのような言葉が生まれたのだと思われます。こ
れとは逆に現代スポーツ理論やリハビリの世界では筋肉を鍛えることを推奨しており、現代人
は筋肉を鍛えることにとても熱心であるといえます。人間は骨だけで動くことが出来ないので、
当然筋肉の力が必要になってくるのであるが、問題はどこに集中して身体を使うかということで
ある。古武術の世界では型稽古によって身体を鍛えており、特別な筋トレ運動などはしない。こ
れは型で身体を動かすことで骨に集中し筋肉も全体の動きの中でバランス良く鍛えているので
ある。この場合、あくまでも骨が主で筋肉は従の関係である。型の動きの中で、すべてが連動
する状態で筋肉も鍛えられていくのである。しかし現代のスポーツ理論では力を出すために必
要な筋肉を部分的に動かして筋肉を増強させるという方法である。これは、筋肉は主で骨が従
の考え方であり西洋医学のリハビリも考え方は同じです。戦国時代など、それほど栄養状態も
良くなかった小柄な日本人が鎧甲冑を身につけ重いヤリや刀を振り回し一日中戦う事ができた
のは身体を上手に使いこなす「骨(コツ)」を知っていたからでしょう。「骨(コツ)」を使うということ
は意識を表の筋肉ではなく、より芯に集中して身体を使うことなのです。これにより、身体を連
動させトータルで効率的に使うことが出来、より大きなパワーを出せると共に故障や怪我も減
らすことが出来るようになるのです。その為にどの骨に集中するかは稽古の中で各々が掴み
取っていくものであります。                          (第96号 H26.6.6)




先月の27日、フランスのユーロニュースというTVの取材を受けました。「ワールド ラーニング」
という番組で様々な国の歴史文化教育を紹介しており、日本では今回四季の森ちびっこ忍者
道場が取り上げられました。日本ではまだまだ忍者の世界に文化的価値を見出していない
のが現状ですが、海外では武士道に並んで忍者・忍術の世界に関心を持ち、そこに日本文化
の魅力を見出しているようです。忍者の歴史は古く聖徳太子も忍者を使って情報を得ていたと
言われています。このように長い歴史を生き伸びてきた忍者の世界には、たくさんの知恵と技
術が伝承されひとつの文化を築いてきました。その内容と奥深さは武士道に匹敵するもので、
武士は表、忍者は裏で日本の歴史を創り上げてきた存在なのです。
今後、益々外国人が日本に訪ねてくるのに合わせて忍者の世界に対する関心が高まってくる
ことでしょう。日本人として皆様もアニメや映画ではない、本当の忍者の世界を学ばれることを
お勧めします。そこからきっと現代にも通じる生きる知恵や奥深い日本文化を学び取ることが
出来ることと思います  (第95号 H26.5.6)



                 「観の目で生きる」 
武術の稽古は常に、相手の目に見えない意識を感じて動くことで相手の先を取る。
これを「観の目」という。相手の動きに反応していては後手となり相手に振り回されることにな
る。人が生きる事も同じである。世の中の様子に囚われて行動をしていると常に不安がつきま
とい世の中に振り回わされて生きることになる。しかし感覚を研ぎ澄まし時代の流れを先に感
じ取ってその方向に努力していけば時代を先取りし世の中をリードする者となるのである。
                                          (第94号 H26.4.4)



近頃、隣国の中国や韓国と歴史認識、領土問題で摩擦が激化している。中国や韓国は過去
日本に侵略されたと主張しいつまでも日本に謝罪を要求している。歴史をさかのぼれば日本
は秀吉の朝鮮出兵以前に元(当時の中国)と高麗(当時の韓国)の連合軍によって侵略攻撃
を受け多大な被害を受けている。しかし我が国は今になってあげつらい相手国を非難するよう
なことはしない。日本には「過去は水に流す」という美徳があるからである。しかし中国は「受
けた仇は千年たっても忘れない」ことが美徳だそうだ。これでは永遠に相容れることは難しい。
まして個人個人でも違う歴史認識を、日・中・韓が共有するなどという事は不可能に近いのに
どうしてお隣の国々は、一方的に要求してくるのか理解に苦しむのである。極東アジアがひと
つになれば、全アジア圏がEUのようになり大きく発展する事ができるののであるが、その為に
はもう一つ大きな山を越えなければならないのではないだろうか。    (第93号 H26.3.6)




"合気道の本義" 
合気道の稽古をしていて常に感じることは『つながっている』ということです。人は物質的には
個々は別々の存在に見えますが、無形のエネルギー「気」の世界では『つながって』いるので
す。この「気」によって『つながっている』前提条件がなければ成り立たないのが合気道の技な
のです。しかし無形のエネルギーである「気」は肉眼で見ることは出来ません。
感じるものなのです。この感覚のセンサーを高めていくことが合気道の稽古です。
稽古を続けセンサーの感度が良くなれば、人と人、人と自然、人と神仏が『つながっている』と
いうことが実感できるようになり人生観に影響を与えます。
自分は一人で生きているのではなく生かされていることを知りそれは回りの人や自然も同じ
で、大切な存在であることを知識ではなく身を持って知ることが出来るようになります。
相手を倒すという殺傷の技術を昇華させ、人の喜びを自分の喜びとし、人の痛みを自分の痛
みとして感じられる人を育てることで、共生共栄の社会を目指すのが"合気道の本義"なので
あります。                                     (第92号 H26.2.3)

                           


                       「一に止まる月」 
皆さん、今年の「お正月」はどのように過ごされたでしょうか。日本では一年の初めを「お正月」
と呼び多くの国民が善男・善女となって神仏にお参りをして厳かな気持ちで過ごす期間となっ
ています。「お正月」は「一に止まる月」という意味ですが「一」とは全ての始まりである神様ま
たは仏をあらわします。ですから一年の始まりに初詣に行って神仏に向き合い心を清めて出発
するのです。初詣に行って多くの人が厳かな気持ちで、この一年を無事過ごせるようにと手を
合わせ、お札やお守りを頂いてくるのですが、一番大切なことは神仏に向かう時の純粋で素直
な心を持って日々の生活を送ることです。神仏は、神社や仏閣の中におられるのではありませ
ん。本来、人間は皆 神の宮なのです。神仏は人の心の一番純粋で清らかなところに臨在して
おられるので、私たちが純粋で素直な心を持って生きる限り神仏の加護はいつも共にあり、安
心で幸福な人生を送ることができるのです。 (第91号 H26.1.8)
  



合同演武会が無事終了いたしました。特に今回は武蔵一族の方々を迎える事が出来、とても
刺激的な内容となりました。ちびっこ忍者道場を始めて7年、これは子ども達が日本の素晴らし
い伝統文化である古流武術に触れられる良き窓口となる事を願って始めたものです。そんな中
で今年に入り本物の忍者の子孫である武蔵一族の代表、柴田さんと出会い、国際親善交流の
お手伝いをさせて頂きながら忍者の世界をより深く知ることができました。様々な武器や術を使
う忍術は生き残るためのサバイバル術です。現代の世の中でもその真髄は活用でき、社会の
荒波を乗り越えて行く力となるものです。四季の森武道塾では、日本古来の武術を中心に指導
しておりますが、これは古流武術を通して日本文化の素晴らしさを多くの人々に知ってもらうこ
とで、日本の国を見直しこの国をより愛する心が高まればより良き社会になるのではないかと
考えているからです。日本は戦後、国の誇りと愛国心を失ってしまいました。今一度、失ったも
のを取り戻し先人たちが築き上げてきた文化の根っこに接ぎ直すことで根っこから命が流れ、
この国の未来は明るく真の繁栄を見ることができると私は確信しています。最後になりました
が、演武会に際しご協力下さった皆様に心から感謝を申し上げます。誠にありがとうございま
した。 (第90号 H25.12.3)




  「四季の森合同演武会」について
今月は恒例の、合同演武会があります。今回初めて参加される方も多いので少し説明しま
す。四季の森武道塾では一般の武道団体のように演武や試合で優劣を競うような大会は行い
ません。そのようにすると日頃の稽古が、大会で良い成績を取るためのものとなり、どうしても
武道の本質から離れてしまうからです。武道の目的はあくまでも護身であり、何よりも自己と向
き合い自己の弱さを克服し社会に貢献できる人間になることにあるのです。年に一度の「合同
演武会」は四季の森武道塾で稽古している塾生たちが一堂に会して日頃の修練の成果を確認
する場であり、様々な武術の演武に接することで日々の稽古の励みとする場でもあります。ま
た、保護者の方々にとっては子ども達の成長を確認し、武道塾の内容を理解していただくため
の場でもあります。今回は、鹿島神傳直心影流(かしましんでんじきしんかげりゅう)剣術の演
武に加えて、江戸隠密の末裔「武蔵一族」の方々が忍術の演武を見せて下さいますので、ご
家族、友人お誘い合わせて多くの方々に来ていただきたいと思っています。
  (第89号 H25.11.4)




  "心身一如"
武道は心身一如の修養法である。身体を通じて心を育てる。そして心が技に現れる。素直で真
っ直ぐな心はそのまま軸の通った美しい技として現れる。正しい姿勢をとれば重心が下がる。
重心が下がれば心は落ち着く。肩や首に力が入り重心が上がれば心は不安定となる。心と重
心は一如である。正しい姿勢を教え重心を下げるには正座が一番良い。正座は苦行ではなく
昔日の日本人が作り上げた日常の修養法である。現代の教育では正座は虐待となる。これは
人を育てるべき現場が人間とは何たるかを正しく理解できていないことを表している。人は二
本足で立って歩くことが人間活動の基本である。二本足で立って歩くことを武術では繰り返し
稽古し、より自然で無理のない動きへと昇華させていく。これが全体の動きのレベルを上げ、
技の精度を高めることにつながる。また同時にこれが自然な心遣いとして表れる。武術はこの
ような修養法なのでその成果を見るまでは年月を要する。継続するための忍耐は当然必要と
なる。特に子どもの場合は親の理解と協力が不可欠なのである。しかし昔の日本人が命がけ
で作り上げ伝えられてきた型と技は私たちを裏切る事はない。日本人が理想とする、肩の力が
抜け、腹・腰に集中した姿勢を作り上げる。そして心身一如ゆえに腹が据わり一本筋の通った
協調性のある人格としてその修養の成果を見ることが出来るのである。
  (第88号 H25.10.2)


                                                                   

とても暑い夏が終わろうとしています。今年は例年以上に自然災害が多く発生した夏でした。
先日、散歩の途中ふと地面に目をやるとアブラゼミの死骸を、アリたちがせっせと巣に運んで
いる姿が目に止まりました。土の中で7年間を過ごし、地上に出てからは一週間という短い期
間を必死に生きて息絶えたセミはアリたちの餌になって姿を消してゆくのです。
人はお腹の中で十月十日、地上に生まれて100年生きたとしても長い地球の歴史から見れば
セミと同じ、五十歩百歩のようなものです。短い生涯を終えたセミはアリたちのお腹を満たしま
す。人は一生の間たくさんの生き物の命をいただき、資源を使い、ゴミを出して地球を汚しま
す。そして死んでも火葬され灰となり、お墓に納まって終わりです。さて、セミと人、どちらが地
球にとって役に立っているのでしょうか。このように考えると人は自然に対してもっと謙虚な姿
勢を持って生きるべきだと思えるのです。 (第87号 H25.9.2)





先日、家族で恒例のキャンプに行って来ました。私のキャンプでの楽しみのひとつは"たき火"
です。真っ暗で静かな森の中でゆらゆらと燃える炎を見ていると、とてもリラックスでき心が癒さ
れます。たき火に新しい薪をくべると炎はまた大きくなりあたりを照らし、身体を温め心まで癒し
てくれます。そして先ほどまで木片として形をとどめていた薪が次第に炭となって消えていきま
す。その姿を見ていると、木片がただの炭になったのではなくエネルギーを発してより高いもっ
と自由な次元に昇華したように私は感じました。人の一生もまたこの様なものではないかと思
いました。薪は放っておけば長い時間をかけて朽ち果てていくだけですが、火を付ければ燃え
て大きなエネルギーを発し周囲を温め、喜び、感動、癒しを与える。そしてその炎をまた周囲の
薪に移していく。人の人生には選択の自由がありますが、私は後者を選択したいと思います。
  (第86号 H25.8.1)



"命を感じるということ"
先日も小学生が無差別に切りつけられる事件が起きました。メディアや学校では"命の大切さ
"をしきりに訴えているようですが、このような残虐な事件は減るどころか増加する一方です。
命は目に見えないものです。ですから命の大切さは言葉や映像で教えられるものではありま
せん。命はいのちで感じるものなのです。最近では赤ちゃんをおんぶして育てる母親が少なく
なりました。人間の背中は後ろが見えない分、とても敏感に出来ています。背中に赤ちゃんを
背負う事で母親は赤ちゃんの様子を背中の感覚で感じようと集中します。これがいのちで命を
感じるということです。背中の赤ちゃんは母親の顔が見えなくても、母親の命に包まれているこ
とを感じて安心するのです。そしてこれが命のつながりを感じる心の根っこになっていくのだと
思います。このような実感もなくバーチャルな世界で育つ現代の子どもたちは命を感じる感性
が育つ場がありません。心が不安定で陰湿ないじめをする子が多いのもこのようなことに原因
があると言えるのではないでしょうか。武道塾で稽古をしている古流武術というものは元来、命
を奪うための技です。だからこそ命を感じずしてこれを学ぶことは出来ません。自分の全感覚
に集中して相手の命を感じて技の稽古を行うのです。そのような中で生命のつながりをリアル
に感じる感性が育っていくのです。これぞ身体を通しての真の道徳教育であります。
私はここに現代における古流武術の存在意義を見い出しております。
                                          (第85号 H25.7.5)



 

今年は例年より10日ほど早く関東地方が梅雨入りしました。この季節は毎年皆がうっとうしさ
を感じる頃でもあります。しかし日本は梅雨があるおかげで緑に恵まれていま す。同じ緯度
にある地域はほとんどが砂漠地帯となっていますが、日本はヒマラヤ山脈があるおかげで偏
西風が東南アジアの海上を通って来るため湿気を帯びた風がこの季節、日本に多量の雨を降
らせているのです。日本の植物は世界でも希に見るほど多種多様です。そしてその自然の中
に棲息している動物も種類が豊富で日本の固有種は世界で最も数が多いと言われています。
人間、生きているとうっとうしく感じる出来事はたくさんあると思います。しかしそれを遠ざけた
りそこから逃げたりするのではなく、それを自らに課せられた試練として甘受していくことで、心
が豊かに成長するのだと思います。都会に住んでいるとついつい忘れてしまうのが人も自然
の一部であるということです。私たちはもっと謙虚になり自然から学ぶ姿勢を持つ事でバランス
のよい社会を築いていく事ができるのではないでしょうか。      (第84号 H25.6.5)





 私は最近、江戸隠密の末裔を中心とした「武蔵一族」という忍者グループと交流しています。
きっかけは、ここの代表で三代前まで忍者の元締めをしていた子孫の方から、武道塾のホー
ムホームページを見て仕事を手伝ってほしいという依頼の連絡が入ったことです。仕事とは忍
者や侍を通じての国際文化交流です。「武蔵一族」は東京の田端に拠点を持ち、そこの道場で
JTBやH.I.Sの海外ツアーの外国人に対して忍者や侍の演武を見せたり、体験をさせることで
日本文化を紹介するという活動をしています。演武も映画の殺陣のようなものではなく、本物を
見せ体験させたいというこだわりがあります。忍者の紹介にしても、アニメや映画で知られてい
る虚像ではなく真実の姿を伝えたいという真面目な本物志向の忍者集団です。私もすでに
海外ツアーの外国人に何度か演武を見せ、稽古をつけさせてもらいましたが外国人の忍者や
侍、日本文化に対する関心の高さや熱心さには驚かされるものがありました。自国の素晴らし
い文化も知らず外国の文化を追っかけることに熱心な日本人の姿が恥ずかしく思えてきます。
四季の森武道塾には「しのび研究会」があり月に一度集って忍者、忍術の勉強や稽古をして
いますが、いづれ「しのび稽古会」として、出来れば毎週やっていきたいと考えています。侍は
表、忍者は陰で命を懸けて国のために働いてきましたが、世の中何事も陰の力なくして成り立
たないものです。日本には「お陰様で」と言う言葉があるように日本人は陰の力の重要性と有
難さを知っています。現代では侍はいなくなってしまいましたが、密かに世のため、人のために
働く陰の存在は必要だと思います。私自身、誰に認められずとも陰で世のため人のために働
き現代の忍者として生きていきたいと思っています。           (第83号 H25.5.7)




 

  "強く、正しく、美しく"
先月、二人の大和流体術二段が誕生しました。二人とも7歳から稽古を始め、入門歴8年以上
の15歳の女子である。ソフトな雰囲気を持った二人だが芯はなかなか強く将来の目標というも
のをはっきりと持っている。そして嬉しい事に二人とも高校入学後も稽古を続けるそうだ。武術
は型をくり返し稽古する事で身体に軸ができて重心が下がり自然な動きが身に付いてくる。そ
んな身体の変化は心に影響を与え、心にも芯ができて落ち着き、人と共鳴し合える感性が育
つ。心身は一如である故に武術は身体を通して心を育てる事ができる。日本身体文化の極致
と云える古流武術の動きは自然であるからこそ強く、正しい。そして美しいのである。日本文化
は「強さ、正しさ、美しさ」の三位一体の文化である。この混迷した現代の日本社会において古
流武道を稽古する意義は、「強く、正しく、美しい」日本の心を持った人を育てることであると私
は信じている。
  (第82号 H25.4.4)




今月11日であの東日本大震災から二年が経ちます。震災の復興は思うように進まず今もなお
多くの被災者の方が仮設住宅や地方で暮らすことを余儀なくされている状況です。あの震災で
多くの日本人が経済的に豊かでリスクの多い社会より安心で安全、そして何よりも心の絆を大
切にする社会を求めたのではないでしょうか。ところが喉元すぎれば熱さ忘れるの如く国民の
関心は何をさて置き、景気回復。その声に応じて政府はその声を盾に原発再開、TPP参加を
推し進めようとしています。人間は1度手にした豊かさ(物質、便利)を手放すことは難しいとい
うことでしょうか。しかし、このままいくといずれ全てを失ってしまう事になるかも知れません。
私たちの先祖は物やお金はなくても誇り高く心豊かな暮らしをしてきました。
今の時代、人に迷惑にならなければそれぞれの価値観でいいじゃないかという考えですが、そ
の中心に居すわっているのは個人主義なのです。これが今の日本社会の様々な問題の元凶
となっている価値観です。人と人とが愛と信頼で結ばれ心豊かに暮らせる社会をどのようにす
れば築くことが出来るのか、今こそ国を上げて見つめ直す時に来ていると思います。未来に夢
と希望があれば人は今の一時の苦しさを耐え忍び乗り越えていくことが出来るはずです。
  (第81号 H25.3.5)
 
                                                                


  「肚(ハラ)と腰の文化」   *肚とは広い範囲での腹のこと
日本語には「腹」と「腰」で心の状態を表現した言葉が多くあることは良くご存知だと思います。
「腹が立つ・腹がある・腹を決める・腹がすわる・腹にすえかねる・腹黒い・片腹痛い・本腰を入
れる・腰が引ける・腰をすえる・腰抜け・弱腰」などなど。昔の日本人は腹で決断し、腰で行動し
ていました。和服や日本の履物は腰に集中しやすいように出来ています。人の身体は腰の芯
に集中すれば腹が締まるようになります。腰と腹はコインの表と裏のように表裏一体の存在で
す。腰は身体、肚(腹)は精神の中心で、肚腰に集中する事で心身が統一されるのです。日本
の素晴らしい文化はこのような腰腹一体の身体感覚が作り出したものです。しかしわが国は
明治以後、脱亜入欧の思想から西洋文明を取り入れ日本のそれらを古くさいレベルの低いも
のとして見るようになりました。これにより腹腰を中心とした身体文化を失い敗戦によって魂も
失ってしまいました。今日に至っては和室のない家も多くなり正座をする習慣も失われ腰を入
れるという感覚がわからなくなっています。生活様式だけの問題ではありませんが、頭でっか
ちで肚のない腰抜けの日本人が多くなっているように思います。先人が残した日本文化がいく
ら素晴らしくても身体感覚のまったく違ってしまった現代の日本人にそれらを引き継いでいく事
は出来ないのです。そしてこのままでは日本文化は完全に形骸化してしまいます。文科省が
そのことを理解せず学校の教科にダンスを取り入れるなどしていることはわが国の悲劇としか
言いようがありません。真の日本再生は肚腰を中心とした身体感覚を取り戻すことです。
皆さん、日本人に戻りましょう!
   (第80号 H25.2.5)




  「武道のちから」
2013年、新しい年が出発しました。経済、領土問題にとどまらず日本と日本を取り巻く環境は
益々厳しさを増しており、今年も激動の一年となる予感がします。このような時代、私たちは周
りに振り回されないように正しく情報を受け取り行動していかなくてはなりません。そのために
は二つ大切なものがあります。一つは不変な価値基準を持つということです。これはたくさんの
情報が氾濫する中から必要なものを選び取るための判断基準になります。もう一つは感覚を養
うことです。今、何をすべきかという時をつかむ判断力になります。そこで武道の話ですが、実
に武道というのは心身の練磨を通じて不変なる原則を学び身に付けるものであり、身体感覚を
使って攻防を行う術であります。このような混迷の時代だからこそ武道教育は真価を発揮する
のです。「武道のちから」はこれからの時代、益々必要となってくることでしょう。
   (第79号 H25.1.7)



 

  「次は日本の時代」
 2012年もあとひと月となりました。私たちを取り囲む情勢を見ると、先行きの見えない不安を
誰もが感じる今日です。しかし私はこの時代に日本に生まれてきた事を心から感謝し喜びを持
って生活をしています。それは長い歴史と時代の流れを鑑みた時、これから日本の時代がや
って来る事を感じるからです。日本はユーラシア大陸の東の果てに位置し古代より様々な人
種・文化・宗教が渡来しました。そして、島国であり四季折々の自然豊かな環境の中で育まれ
熟成したのが日本文明なのです。聖徳太子が憲法17条の第1条に「和をもって貴しとなす」と
定めたように日本は"和の文化"であります。西洋キリスト文明のように善と悪に二分し対立す
るのではなく「和の文化」は異質なものをも認め受け入れながら共生していく文化です。その根
底には長い歴史と伝統、そしてとても細やかな心遣いがあります。今、日本のアニメは世界中
に大人気です。しかしアニメは日本文化の実のひとつに過ぎません。世界の人々が日本を深く
知ればきっと様々な事に魅力を感じ引き付けられることでしょう。もはや西洋文明には陰りが
見え始めています。これから世界を引っ張っていけるのはどこの国なのでしょうか?独裁国家
は内部崩壊していくのが時代の流れならば中国には期待できないし、今の中国に世界を引き
付ける文化的力があるとは思えません。日本は世界の様々な文化を吸収し熟成した文明を持
っています。長い歴史の中で自然と調和してきた普遍的価値観が日本文明の根幹にありま
す。これからの世界は自然との調和、他民族・他宗教との調和が時代のキーワードだとすれ
ば「和の文化」を持った日本文明こそが世界の牽引者となっていくのが歴史の必然と考えられ
ます。世界はもうしばらくゴタゴタが続くと思われるので、日本人は今のうちに自国の歴史・文
化を学び直し準備しなければなりません。次の時代の主役は私たちの子ども達であることを忘
れないでほしいのです。  (第78号 H24.12.5)


 
                    ― 何のために ― 
道場訓の三番目は「世の為、人の為に生きること」です。
私は親から"自分の為に生きろ"職場の上司からは"会社の為でなく自分の為に仕事をしろ"と
言われてきました。しかし私はこのような考え方にどこか違和感を感じていました。自分は自
分の為だけに生まれてきたのだろうか?そんなちっぽけでつまらない存在なのだろうか?と。
しかし、どうせ生きるのならもっと大きな存在として生きたいと思い、出来るなら国や世の中の
為に自分の命を使いたいと思っていました。この時代、この日本に生まれきっと何かやるべき
事があるのではないだろうかと思いながらも、それをなかなか見つける事ができませんでし
た。30代の頃、日本の国の繁栄を願って毎月、靖国神社に参拝に行っていましたが、日本の
国の為に命を捧げた英霊たちの御霊を前に手を合わせる度に、彼らの犠牲の上に平和な時代
を享受している私はこのような生き方でいいのかと自問自答する日々でした。そんな中で、ず
っと武道を修練してきたということもあり、日本古来の武道を通して青少年にこの国の素晴らし
さを伝え、この国を心から愛する人を育てることが自分がこの国の為に出来ることではないだ
ろうかと思うようになりました。そしてこれは靖国の英霊たちから託された私の生涯の使命だと
感じられたのです。今の世の中は自分が生き方を決められる時代です。私は、ひとつしかない
命だからこそ「世の為、人の為に生きること」が人の人生をより価値あるもの、充実したものに
してくれると信じています。                         (第77号 H24.11.6)




                      "月夜に想う" 
台風一過の夜空を見上げると、丸い美しい月が輝いていた。縁台に寝そべって涼しい夜風に
吹かれながら月夜を見つめていると心がとても静かになりました。武道には「水月」という心の
位がある。自らの心を水、相手の心を月にたとえ、波立たない静かな水面には夜空の月がは
っきりと映し出されるのと同じように、心静かであれば相手の心の動きは手に取るように自ら
の心に映し出されるというものである。人の心は果てしなく広くもあり深くもある。また限りなく
明るくもあり暗くもある。人は自分の心であっても思うように操ることが出来ない存在である。自
らの心を自在に操ることが出来たとき人は真の自由を得ることが出来るのであろう。
                                         (第76号 H24.10.4)




先月は、恒例の"お化け屋敷"を行いました。今回で4回目となりお化け役のスタッフも慣れ証
明やお化けの配置もノウハウの積み重ねで良い感じに出来上がりました。しかし、残念なこと
は年々参加者が減っていること。一回目は50人来たのに今回は33人でした。「来年は来ない
ー!!」と泣いて帰ったお子さんがいたので来年も減ってしまうのかな?(苦笑)さて、お化け
屋敷といえば幽霊ですが、なぜ人は幽霊が怖いのでしょうか?それは正体不明、よく分からな
い存在だからだと思うのですが、私はこれまでの体験上、霊は存在するしあの世(霊界)は確
実にあると思います。人間の本質は霊であり肉体は借り物。霊界が人間の永遠に住む安住の
地であり、この世は魂の修行のため一時訪れる世界だと思います。この世に裸で生まれ、肉
体もお返ししてあの世に旅立つのが人の一生だとすれば、感謝の心で生き人を愛して魂を磨く
こと意外に人の世の目的はないと思うのです。皆さん、恨みや憎しみを持って幽霊にならない
ように気をつけましょうね。 (第75号 H24.9.10)



            −終戦の月に思う「武士道精神はいずこへ」ー
今月は広島・長崎へと原爆が投下され日本が終戦を迎えた月です。終戦の日から67年が経ち
日本は大きく変化しました。戦後、アメリカを手本に必死に働き奇跡といわれる復興を成し遂げ
ました。しかしそれは経済的豊かさのみの復興であり国民精神の空洞化は進む一方です。ア
メリカの日本に対する占領政策は日本が二度とアメリカに刃向かって来ないようにする事を主
眼にしたものでした。そのため戦争裁判を行い日本を戦争犯罪国家に仕立て上げ国民から愛
国心を奪いました。また特にアメリカが恐れたのは我が国に浸透していた武士道精神でした。
そのために戦後、教育内容を改変し武士道精神を育んできた日本武道を禁止しました。その
後武道は競技化したスポーツとして許されるようになりました。スポーツは競技に勝つための
もの、あるいは楽しむためのもの。しかし武道は生死を見極め人格完成を目的とするもの。千
年前より生まれ江戸時代に完成した、もののふの道「武士道」は武道の鍛錬の中で作り上げら
れてきました。私はこの空洞化した日本人の心の中に芯を通すためにはスポーツではなく古
流武道の復活が重要と考えています。今月、戦争で亡くなっていった多くの方々のこの国に対
する想いを偲びつつ、日本が素晴らしい国となるために自ら成し得ることを成していこうと心新
たに決意をするものです。                          
                                           (第74号 H24.8.1)



− 本当のしあわせって? ―
戦後日本は豊かな国を目指して勤勉に努力しGDP世界第2位、(現在は3位??)1億総中
流といわれるまでに奇跡の発展と繁栄を成し遂げてきました。しかし20年前にバブルが弾けて
から経済成長は下降線をたどり続け国民の中に格差意識が生まれ、それとともに国内に不満
の思いが渦を巻くように蓄積されていきました。そして昨年3月11日、東日本大震災が起こり
ました。多くの人々はこれまでの繁栄がいかに危うい土台の上に築かれてきたものであるかに
気づき、国民の意識が変わり始めました。「絆」という言葉がクローズアップされ人々は心の繋
がりの重要性を確認したのです。多くの人は幸福の形を心の中に持ち、それを追いかけて人
生を歩んでいます。"プロ野球の選手になること""結婚してマイホームを建てること""会社を経
営すること""元気で長生きすること"などなど。しかし、すべては諸行無常というのがこの世の
定め。形あるものに永遠はないのです。幸福を形あるものに求めれば砂漠で蜃気楼を追う如く
一生幸福をつかむことは出来ないで終わることになります。健康であることが幸福といってもそ
こにはいつ病気になるか分からない不安がついて回ります。大金を手にすれば自らの周囲の
人を信じられなくなり不安で眠れなくなったりします。夢や目標を持って努力することは大切な
ことですが、重要なことはその過程で心豊かな自らを築き上げて行くことではないでしょうか。
そして何事にも感謝できる心を持った人こそ幸福な人と言えるのだろうと思うのです。「忙しい」
は、「心を亡くす」と書きます。戦後日本人は豊かな社会の形を求め頑張る中で忙し過ぎ、大切
なものを見失ってきてしまったように思います。今はこのような時代であるからこそ、心豊かな
本当の幸福を目指して舵を切り直すチャンスではないかと思うのです。
  (第73号 H24.7.3)



『親と子の自立』 
近年、日本社会では親が子を虐待死させたり、逆に年老いた親を子が殺害したりなど以前に
はなかった親子間の痛ましい事件が急増している。また成人しても働かず親に依存しなけれ
ば生活できない若者が増加している。親が子へ向ける無条件の愛、子が親をいたわる孝行の
精神はどこへいってしまったのだろうか。現在日本では急速に少子化が進んでいるが、結婚し
ない人や結婚しても子どもをつくらないカップルがそれに拍車をかけている。政府の少子化対
策は女性が安心して働ける環境を整えれば出産率が増えるという考えで保育環境の充実と夫
の育児休暇奨励を政策にしている。しかしこれらは大人の都合で考え出されたもので声なき乳
幼児たちの心は無視されている。政治家は早い時期から母親から離され預けられてしまう子
どもの気持ちや、その子の成長に及ぼす影響については全く考え及ばないようである。結局、
外的なことばかりに終始し最も本質的なことが、なおざりにされているのではないだろうか。昔
から「三つ子の魂百まで」という言葉がある。人は三歳までの記憶など思い出すことは出来な
いが、この期間は潜在意識(無意識層)に影響を与える期間でこの時期に親(特に母親)から
たっぷりと愛情を注がれることで心の根っこができ、安定した精神活動と人間生活の土台が作
られるのである。その土台があれば例え困難な状況に遭遇したとしても何度でも立ち上がるこ
とが出来るだろう。しかしこの心の根っこが作られていなければ情緒が不安定になりストレスに
も弱く人間としての自立に深刻な影響をもたらすのである。このままでは近い将来、親子関係
に起因する精神疾患者が増加するとともに国力は衰退し複雑化した事件や犯罪が多発するこ
とが予想されるのである。古来日本の国では「子は天からの授かりもの」と云う。そして死んだ
ら亡き骸となって天に帰ると考える。人は母親の肉体から産まれてくるが魂は天から来ると云
う。云わば親は子を天から預かるのである。その預かった命はそれぞれに個性と使命を持って
この世に生まれてくる。子を授かった親はその子が一人の人間として世の中に出られるよう自
立をサポートするのが役割であり、決して親の所有物ではない。親は子育てを全うすることで
自らも成長し味わい深い人生を得るのである。ここで大切なことは親が子を自らの人生の杖と
してはならないということである。親が我が子を自らの人生のすべてとして子どもだけを生きが
いにしてしまうと子どもは親に依存し自立出来なくなってしまう。親も一人の人間としてこの世
の中での使命を全うすべく生きがいを見出し自立した人生を生きてこそ、子どもが自立して行く
時の良き手本となるのである。裏を返して考えれば現代の日本の有様は自立
出来ていない大人たちが作り出したものと言えるのではないだろうか。
  (第72号 H24.6.8)



皆さんはご存知でしょうか。日本が世界で現存する唯一の古代国家であることを。そして世界
中が注目する素晴らしい歴史と伝統、文化を持った国であることを。先日もイランで忍者修行を
している女性が3000人もいるとその様子をテレビで報道していました。またロシアでは日本に
も存在しない忍術の専門学校があるほど忍者が注目されているようです。日本の武道は世界
で有名ですが特に他との調和を目指す合気道の人気は高いようです。今、世界では日本ブー
ムが起きています。アニメや音楽、ファッションなどの現代のものから伝統文化に至るまで日本
が注目されています。それなのに自国の素晴らしさに気づけない人々があまりにも多い。未だ
にアメリカから押し付けられた自虐的な歴史観から抜け出せず自分の国に誇りを持てない大
人が多くそんな大人に育てられた子どもたちは当然ながら愛国心を持つことが出来ません。戦
後、日本は勤勉さと努力と技術力を持って世界にたくさんの物を輸出して経済的に豊かになり
ました。しかしその結果、競争原理から個人主義が蔓延し日本人の中から思いやりの心が消
えてしまいました。そして離婚率は増大し、自殺、孤独死が後を絶たない世の中になってしま
いました。昨年の大震災をきっかけに日本人の絆、思いやりの心が見直されてきています。今
が日本人が立ち直るチャンスだと思います。私たちは今こそ先祖たちが残してきた素晴らしい
日本の文化を見直し、さらに復活させなければなりません。日本国民が自信を取り戻してこの
国を建て直しこれからは日本の文化を輸出する大国になるべきだと思います。そして和の文化
により世界の人々のために貢献し、真に世界から尊敬される国を目指すべきではないでしょ
か。
 (第71号 H24.5.7)




先月の29日、かなりの強行軍でしたが日帰りで娘たちを連れて仙台の被災地へ行ってきまし
た。東日本大震災から1年が経ちこれまでメディアを通じて被災状況をたくさん見てきました
が、やはり現地に行ってみなければ感じられない事があると思い、娘たちの春休みと道場の
休み、東北道無料期間を利用して思い切って行くことにしました。今回、内陸の5キロ近くまで
津波で大きな被害を受けた名取市、若林区、宮城野区に行きましたが現在はガレキを片付け
た後で、あたり一面家の土台部分ばかりで荒涼とした平地が広がってもの悲しい空気が漂っ
ていました。この地域には非難出来る高台がないので津波のことを考えると再びこの地に町を
再建することは難しいと思いました。しかしこの荒浜の海水浴場近くの住宅地あとにはいくつ
もの黄色いハンカチがなびいていて、いつか必ずこの地に戻ってくるという住民の強い意志を
感じました。今回の震災で政治家や役人たちの責任逃れの代名詞として使われた"想定外"と
いう言葉。本来自然の中で生かされ自然の一部である人間が、すべてを想定するなどおこが
ましい限りである。わが国において大地震や大津波は今に始まったことではない。遠い昔から
我々の先祖は大災害を幾度も経験し乗り越えこの地で生きてきた。我々がこれからもこの国で
生きていくのであれば、いつ起こるかもしれない想定外の自然災害を覚悟するべきであろう。
そして「3.11」をきっかけとして我々の後孫が末永くこの国で生きていける様に、あらゆる面に
おいて正しい決断をしなくてはならない時なのではないだろうか。
  (第70号 H24.4.3)



来年度から公立中学校の体育で男女共にダンスが必修となるということを聞きました。日本の
伝統文化を学ぶためにすでに武道(主に柔道)が必修化されているのは知っていたが、なぜ今
になってダンス???とハテナマークが三つ位ついてしまった。巷ではエグザイルやAKBなど
(すみません、これくらいしか知りません・・)の影響でダンスブームということで、まさに迎合し
たかのように思えるのである。それで何やら体育の教師が即席でダンスを習っているようであ
る。武道の必修化に関しても期待していたら教えているのは柔道や剣道をかじった程度の体
育教師。これでなぜ世界に誇るべき日本文化を代表する武道を教えることができるのか、本当
に武道をなめているとしか考えられない。なぜちゃんとした武道の先生から習えるようにしない
のか。武道家ならば技と共に精神面も指導できるはずなのに。人を育てるのは設備やシステ
ムではない。人を育てるのは人であり、人の情熱であるはずだ。迷走する公教育のせいで未
来の希望であり国の宝である子どもたちが犠牲になっている。文句ばかり言ってボヤいてもし
ょうがない。武道を通しての人間教育、真にこの国と自らに誇りと自信を持って生きる日本人を
育てる為、頑張るしかない。燃えてきたー!! (第69号 H24.3.6)




昨年9月に発足した「しのび研究会」は1月で5回を数えました。毎回、忍者、忍術についての
勉強と様々な手裏剣や鎖鎌、秘武器、護身術の稽古等を中心にやっています。今のところ会
員は8名位ですが小学生から主婦まで家族的雰囲気で楽しい集まりになっています。日本の、
"サムライ"や"ニンジャ"は海外でもとても人気ですが、とりわけニンジャについてはアニメなど
の影響もありとても超人的で神秘的な存在と思われているようです。これは日本国内でも同様
で忍者の実像は未知の部分が多いようです。忍者は日本の歴史の裏側で活躍し生き抜いてき
た人々です。そのために様々な工夫や知恵を駆使しなければなりませんでした。そしてそれは
秘伝とされ公開されてこなかったので忍者は神秘的な存在となってきたのです。しかし現在で
は少しづつその研究も進み実像が明らかになりつつあります。「しのび研究会」では彼らの実
像を追いながら忍術を体験し、またそこから歴史に埋もれた彼らの知恵を学んでいきたいと思
います。「しのび研究会」は毎月第二金曜日の19:00から20:30までの時間帯で開催していま
す。参加費は無料で塾生以外の方でも小学5年生以上なら参加できますので忍者忍術に関心
のある方は是非一度足を運んでみて下さい.。              (第68号 H24.2.3)

                         
新年あけましておめでとうございます!
昨年は東日本大震災を始め、度重なる自然災害によって多くの人々が犠牲となりました。
一年前の今頃、誰がそんな年になると想像したでしょうか。通常、誰もが当たり前のように明
日は来ると信じて生きています。しかし昨年の震災で多くの日本人の心に変化が起きているよ
うです。人と人とのつながりをいっそう大切にして、生きていることに感謝する思いが芽生え、
当たり前のことが決して当たり前ではないのだと言う事を実感するようになったのではないかと
思います。また昨今、多くの人が利益至上主義による競争原理の上に立った弱肉強食の世の
中に対して限界を感じ始めているのではないでしょうか。2012年、今年は様々な面で激動の一
年となることでしょう。これまでの価値観やしくみが限界にきているとするなら、いったん壊れな
くては新しい出発が出来ません。
昔から日本人は「おかげさま」「もったいない」「いただきます」などの言葉を生活の中で使いな
がら、神仏や人、自然とのつながりをとても大切にしてきました。これからは、そんな日本文化
に益々注目が集まることでしょう。今こそ私たちは祖先が築いてきた素晴らしい文化を見つめ
直し日本人であることの誇りを取り戻す時であると思います。 (第67号 H24.1.8)




 先月の20日に第二回四季の森武道塾・四季の森法定会の合同演武会が行われました。
今年は子どもたちが多くなりましたので、一般クラスと護身健康クラスの演武は割愛して子ども
中心の演武会となりました。二回目ということで比較的スムーズに進行できたように思います。
見学者も嬉しいことに前回の人数を上回る方たちに来ていただきました。演武はリハーサルも
なくぶっつけ本番でしたが皆日頃の稽古の成果が十分に発揮されていました。今回、レディー
スクラスから9名のお母さん方が2ヶ月特訓して短刀捕りの演武を見せてくれましたが堂々とし
たお母さん方の演武は子どもたちにとって、きっと良い刺激になったことと思います。そして、
見学されたお父さん方の感想も聞いてみたかったです。お父さん方もお忙しく大変かと思いま
すが、来年は入門を期待したいと思います。
 それから、ハドソン先生方が演武されました鹿島神傳直心影流剣術は、日本の精神と技を
伝えるとても素晴らしい古武道です。武道塾の方々にも是非触れてほしいと思います。    
                                          (第66号 H23.12.5)
                                                        
              


  “居着(いつ)かない心” 
 武術の稽古の中心に型があります。型稽古は、正しい姿勢、身体操法、目付け、間合い、虚
実、武器の使い方等を身につけ、いついかなる状況にも対応できる心身を養う為にあります。
そしてスポーツにはルールというものがありますが武術の世界には本来ルールはなく、相手の
人数、武器、環境、状況は常に変化していくことを想定して稽古を積まなくてはなりません。
そこで、状況に応じて瞬時に変化し対応できる心構え、すなわち“居着かない心”が大切なの
です。武術の世界では居着きは即、死につながるものとして注意されてきました。また、このよ
うな“居着かない心”は武術の世界だけではなく、現在のような不安定で先の見えない社会状
況の中でも大切な心がけとなってくると思います。これからは学歴だけでは生きていけない時
代となります。特に未来を生きていく子どもたちには知識だけではなく、武術の修練を通じて
“居着かない心”と丈夫な体を身につけて新しい時代をたくましく切り開いていってほしいと思
います。                                     (第65号 H23.11.2)




 今月からレディースクラスの稽古日が一日増え、火曜日と金曜日の2回となりました。レディ
ースクラスは四季の森武道塾で教えている内容が他の運動系の習い事とはどう違うのかとい
う事を理解してもらうためと、道場生(子どもたち)のお母さん方も稽古を通して明るく元気な家
庭を築いていただきたいという願いを込めて「美容・健康・護身」をテーマに開設しました。レデ
ィースの会員は3年前に3名からスタートして現在は14名となり、皆さん忙しい家事や仕事の合
間を縫って毎回楽しみに来て下さり熱心に稽古をしています。クラスの雰囲気もとても良く教え
甲斐を感じています。私は家庭の要は母親(妻)だと思っています。家の中でお母さんが元気
で明るければ家族みんなが幸せになります。そしてそんな母親がたくさんいる国はきっと繁栄
していくと思います。武道塾ではお母さん方がレディースクラスで運動不足を解消したりストレ
スを発散するだけでなく、日本文化の和の精神を身につけ元気で明るく家庭生活が送れるよう
お手伝いしていければ、と思っています。                 (第64号 H23.10.4)

                        

  先月、恒例の四季の森武道塾の「きもだめし(お化け屋敷)」が行われました。参加者は40
名ほどでしたが、怖くて来れないお子さんもいたようです。日本では、昔は勇気ある人のことを
“きもっ玉がある”とか“きもが太い”などと表現してきました。「きもだめし」の“きも”とはハラの
事です。昔の日本人は、人の心は“ハラに宿る”と考えていました。ですから「ハラをすえる・ハ
ラがある・ハラを読む・ハラを決める」など、心をハラで表現してきました。武士がハラを切るの
も自分の心の潔癖さを示すためだったのです。人間はハラの力が抜ければ、ビクビク、オドオ
ドします。またハラにしっかり力が入っていれば心は揺らぎません。武道ではハラのことを“丹
田”と呼んで、ここを鍛えることを重要視しています。“丹田”を強くするには常に正しい姿勢を
保つことが重要であり正しい姿勢から深い呼吸が生み出され“丹田”に力が入ってきます。座
禅等は座ったままで“丹田”に集中し呼吸を整えていきますが、武道は型の稽古の中で“丹
田”を中心とした正しい姿勢と動きを身につけ呼吸を深くしていきます。その結果どのような状
況でも動ぜず冷静に行動出来る平常心を養う事が出来るのです。そのような訳で武道塾では
毎年「きもだめし」でみんなのハラの成長を試しています。来年も修行を積んで是非チャレンジ
してみて下さい。                                 (第63号 H23.9.4)



"合気道って何?"
  日本の武道で柔道、剣道、空手などは一般の人でも理解し易いと思うのですが合気道は護
身術というイメージだけであまり正しく理解している人はいないのではないでしょうか。合気道
の原型は元会津藩士の武田惣角(そうかく)が明治になって広めた大東流合気柔術にありま
す。150cm程しかなかった小柄な武田惣角は180cmもある巨漢の柔道高段者を苦もなく手玉
にとって投げ飛ばしていたということです。全国を行脚しながら多くの人にこの合気柔術を教伝
したことによりいたる所に弟子が出来てその後、この大東流合気柔術が様々な形で現代に伝
わってきたものを合気道と呼んでいます。では、合気道と他の武道との違いは何かといえば、
"合気"があるかないかであります。"合気"というものが合気道の本質なのですが"合気"とは
何かということです。深い意味では「宇宙根本の気とひとつになり他との対立をやめ調和する
こと」です。しかしこれではあまりにも観念的なのでもう少し分かり易く表現しますと心身は一
如という考えのもとで、自身の心と体の中で相手と対立することをやめて相手と一体となること
により相手の攻撃的力はそのまま相手が自滅する力として返っていき相手を制することができ
るという結果になります。そしてこの合気を使って柔術を行えば合気柔術であり、剣術を行えば
合気剣術であり、拳法を行えば合気拳法となるのであります。よって、合気道とは形式や流儀
ではなく合気を極めるために武術を修練することを総じて合気道と呼ぶのが正しいのではない
かと私は考えています。 (第62号 H23.8.3)




 先月は小学校の運動会があり、娘がリレーの選手として頑張ってくれました。私は娘のリレ
ーを見る事は出来ませんでしたが1人追い抜いてバトンを渡せた事を後で嬉しそうに話してく
れました。思えば人生もリレーによく似ています。今生きている私たちは、遠い昔からたくさん
の人々の人生のリレーを繋いで走っているランナーです。今の時代、私の命も過去から途切れ
ることなく繋いできたものです。そして私の人生が100年、1000年先に繋がっていて今の生き
方が確実に未来に影響を及ぼす事になります。そう思うと責任重大です。出来れば運動会の
リレーのように1人2人追い抜いてカッコよく走り、次の世代にバトンを渡したいものです。
                                          (第61号 H23.7.3)
                        
                               
武道塾では4年前から毎週金曜日5時に「楽唱(日本の唱歌を歌う会)」を続けてきましたが5年
目を迎えて先月から「昔遊びと歌う会」にリニューアルしました。内容は私たちが子供の頃、夢
中で遊んでいた"コマ回し・けん玉・めんこ・毬つき・お手玉・かるた・ゴム段飛び・おはじき"な
どなどです。色々な昔遊びを体験しながら季節の日本の歌を歌う会です。私も久々に昔の遊び
をやってみましたが、結構集中して腰を入れてやらなければ上手く出来ない遊びが多い事に気
がつきました。私が小学生の頃はコマ回しやめんこに夢中になっていました。私の地域では普
通のコマより大きい大山ゴマを使った遊びが男の子に人気で、コマ同士をぶつけてコマをはじ
き出したり長く回す競争もしました。みんな自分のコマがよく回るように芯の長さを調節したり
先端にベアリングを埋め込んだり、コマを回す荒縄が良く巻きつくように土の中に埋めて少し古
くして使ったりしました。昔遊びは同じ道具を使った遊びでも地域によってやり方やルールに違
いがあります。それは子供たちがより面白く遊ぶために自分達で作り上げてきたものだからだ
と思います。武道塾での昔遊びも、子供たち自身で遊び方を工夫することで楽しみながら創造
力や協調性を育てていけたら、と思っています。 (第60号 H23.6.6)




この度の震災以降、私の心の中にいつもあるのは「一期一会」という言葉です。これは茶道の
言葉ですが"ひとつひとつの出会いをこれが最後と思い大切にして接する"という意味です。
茶道が成立したのは戦国時代です。茶会で座をともにする相手も自分も明日はこの世にいな
いかもしれないという現実の中で、ひと時の茶会の場を楽しんでいた訳ですからそれはとても
貴重で真剣な時間であったのだと思います。私たちは震災を経験して、あたり前に存在してい
たものが一瞬にして消え去ってしまうということを目の当たりにしました。今、生きていること、
そして人との出会いということを真剣に見つめていきたいと思っています。
                                         (第59号 H23.5.3)



  この度の東日本大震災は多くの犠牲者を出し日本に甚大な被害を及ぼしています。海外の
たくさんの国から救援の手が差し伸べられていますが大災害の中でも暴動が起こらず被災者
が整然として協力し合う姿が海外で取り上げられ、日本人の素晴らしさが「がまん」という言葉
とともに報道されています。わが国は近代だけでも幕末の西洋列強の脅威、日露戦争、関東
大震災、大東亜戦争の敗戦など4度の国難を体験しましたが、その度に国民が一つとなって
「がまん」と「勤勉」によって乗り越え発展してきました。日本人は国難に直面することで協力し
合い力を発揮する民族です。今回は今までにない未曾有の大災害ではありますが、この震災
の教訓を生かしバネにして原発に頼らないクリーンで安全な新しいエネルギーを開発するな
ど、必ず世界をリードしていく国へと進化することでしょう。そんな予感がするのは私だけでしょ
うか。                                       (第58号 H23.4.4)




"遊びから学ぶ" 
 子ども達は遊びの天才だと私はいつも感じています。道場で稽古の合間の少しの休憩時間で
も子ども達は道具を使って色々な遊びをします。時にはみんなでルールを決めて新しい遊びを
作り楽しく走り回っています。そんな彼らを見ていると稽古もそっちのけで私もついつい引き込
まれてしまいます。自分自身の小さい頃を振り返れば学校から帰るとランドセルを家に放り投
げてすぐに遊びに行く毎日でした。その頃は好奇心のかたまりで毎日がワクワク冒険をしてい
るようでした。友人と自転車で遠出をしたり防空壕を探検したり秘密基地を作ったり、今思えば
色々と危険な遊びもしてケガもたくさんしましたが遊びから実に多くのことを学んだように思い
ます。遊びは子ども達自身で知恵を出し合いルールを決めて楽しむので自然と主体性が育ま
れていきます。現代は高学歴でも主体性が乏しい若者が多いといわれます。それは、小さい
頃からお受験や親の敷いたレールに乗っかるだけで大きくなってしまうことにも原因があるの
ではないでしょうか。目一杯身体を使う、野外で思いっきり遊ぶという経験はとても大切だと思
います。社会に出たらいくら高学歴で勉強ができてもそれだけでは役に立ちません。社会生活
はサバイバルと同じです。人を動かす力、判断力、決断力など総合的人間力が必要です。子
ども達が元気良く遊んでいる姿が、素晴らしい社会の基本なのではないでしょうか。
  (第57号 H23.3.7)




 先日、小学校が舞台のテレビドラマを見ていたら先生が「いじめをなくすことなど出来ない」と
きっぽり言い切るシーンがあった。普通はこれを聞いて何てひどい先生だと思うのではないだ
ろうか。しかし私もいじめはなくならないと思っている。なぜならいじめは国家間から家庭の中
まで程度は様々であるが歴史を通して続いている。心貧しき者は自らの優位性を確認し保持
するために自分より弱い者をいじめるのである。たとえ学校でいじめに遭わなくても社会に出て
もっと陰湿ないじめに遭う場合もある。それでうつ病や引きこもりになってしまう若者が急増し
ている。真に子どもたちのことを思い、社会のことを考えるのであれば、いじめに負けない人間
を育てるべきであろう。そうすれば、いじめの件数も減り、いじめられて自ら死を選ぶような悲し
い事件はなくなると思うのである。 (第56号 H23.2.7)




 先日、「日本が世界で一番自然の豊かな国である」という内容をテレビで見ました。日本列島
は国土の70%を森でおおわれており木の種類は世界で一番多くそのため日本の紅葉は世界
で一番美しいということです。また、日本の動物の固有種は131種類であのマダガスカル島よ
りも10種類も多いそうです。そして、日本列島を取り巻く海には世界の多くの海流が流れ込み
海の生物も世界一種類が多いのだそうです。日本列島の位置する緯度の高さは乾燥地帯で
世界を見渡すとほとんどが砂漠になっています。しかし日本はヒマラヤ山脈の影響で気流が海
を経由して流れ込んで来るため多くの雨が降り緑が豊かになっているのです。このように世界
一豊かな自然を持つ日本は様々な奇跡的ともいえる条件の上に成り立っているということを知
り、私はこの国に生まれてきたことに改めて感謝する思いでした。更に日本は古代より、東の
果ての島国として世界中から多くの文化が流れ込み、それを見事に調和、熟成させ固有の文
化を築き上げてきました。この世界にまれに見る豊かな自然と素晴らしい文化。日本人が自国
をもっと知ることでこの国は、必ず復活することが出来ると確信しています。
      (第55号 H23.1.8)
 


“志(こころざし)に生きる”
  NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が終わりましたが、あの幕末の時代、多くの若い志士達が日本
 の未来を憂いて立ち上がり今日につながる近代的国家を作り上げて西洋列強国の支配から
 日本を守ったのでした。彼らのほとんどは身分の低い若い武士達でした。しかし彼らは「志」
 を持ち命を懸けて行動したのです。多くの者は「志」半ばで命を落としてしまいましたが、その
 「志」は引き継がれ明治維新を成し遂げたのです。これは支配者階級にあった武士自らがそ
 の地位を明け渡し民主的国家を作ったのですから、世界的に類のない偉業といえるものでし
 た。私は人が生きていく上で大切なのは「志」を持つことだと思っています。「志」とは決して
 利己的なものではなく、人間の良心を発露として人々の幸福につながる理想のことです。
  人が「志」を持って行動する時、それは周囲の人々の良心に響き大きな力となって伝播して
 いくのです。この世に生を受けて、ただ自己の幸福のみを追い求めて生涯を終えるより「志」
 を抱いて生涯を走り抜けて行くことが人としてより良き生き方なのではないかと私は考えてい
 ます。                                    (第54号 H22.12.6)



“武道とスポーツの違い”
  現代社会では、主に健康の維持や体力の増強の為にスポーツの普及を奨励している。
  その中で武道もスポーツのひとつとして考えられている。確かに現代の柔道、剣道、空手 
 などスポーツ化した武道は多くそれらの競技人口も圧倒的に多い。しかし厳密に言えば
 武道とスポーツではその成り立ちも文化的背景も全く異なる。スポーツは西洋キリスト教文化
 圏から生まれたもので、武道は日本文化が生み出した世界に誇るべきものである。
  西洋文化の根元となるキリスト教は神と人との契約によって成り立っており西洋社会は契 
 約社会とも言われる。神のもとに平等である国民が、共有する一定のルールをお互いに守る
 事によって社会が成り立っている。スポーツは楽しみながらそのような社会性を身に付け、体
 力を向上させるのに大変役立つものとして奨励されている。
  それに対して武道は戦乱の世から天下泰平の江戸時代になって、武士が刀を抜いて切り 
 合うことがなくなり戦争と人を殺すためだけの武術としての価値が薄らいできたのである。
  そこで、武士が心身を鍛錬し人格を完成するための道として武術を昇華させたのが武道の
 原点なのである。このような観点から見るとスポーツは娯楽的指向が強く、武道は修行という
 位置付けになると思うのである。こう考えると、武道と名乗ってはいても試合の勝敗のみにこ
 だわり勝った時に敗者へのいたわりを忘れ、堂々とガッツポーズをやって平気だとすれば、 
 それはもはや武道を名乗るに値しないと言わざるを得ないのである。
  四季の森武道塾は、武道の定義と目的を忘れることなく日本が世界に誇れる武道文化に
 根ざした人づくりを目指していきます。                 (第53号 H22.11.6) 
                                       

                            


  先日は会員方々のご協力により、四季の森武道塾・四季の森法定会の合同演武会が無事
終了いたしました。参加者それぞれが、精一杯に演武を披露する姿が見て取れてとても感動
しました。また、演武会の会場となりました、ひかりが丘小学校の体育館は四季の森武道塾
の前身であります“光武会”が8年前に10名の子供たちと共に稽古を出発した場所でもあり、
とても感慨深いものがありました。そして何よりも私が感心したのは、演武を見ている子供たち
の姿勢でした。2時間という長い間、幼児から小学生まで所定の場所で私語を慎み、行われて
いる演武に集中している姿を見てとても嬉しく思いました。振り返ると8年前、志だけで子供た
ち(当時は娘たちの友達や近所の子供たち)と光武会を出発し、手探りで今日までやってきま
した。その中で私自身、多くの子供たちと接し、たくさんの事を学ばせてもらいました。その結
果、何とか今日のような形になってきたのです。
 四季の森武道塾は師も弟子も上も下も共に成長していく道場です。強い、弱い、勝った、負
けたではなく「共に学び、共に栄える共学・共栄」を理想としています。そして、この武道塾で
学んだ子供たちがやがて立派な社会人、家庭人として成長し活躍する姿を見ることが私の夢
であり、生涯の目標でもあります。                    (第52号 H22.10.1)




 今月は26日に、四季の森武道塾にとりまして初めての演武会を行います。演武会といって
も優劣を競うためのものではありません。日頃、別々に稽古をしている各クラスの交流をはか
る為のもので、お互いに刺激になるのではないかと思います。
 武道塾では他の武道団体やスポーツと違い優劣を競う大会は行いません。それならば、何
の為に稽古を続けるのでしょうか。それは、心身ともに真に拠りどころとすることが出来る自己
を確立する為であります。先人が残して下さった武術のエキスである型を繰り返し稽古すること
で心身の癖を取り、理にかなった自然な動きと物事をかたよらず正しく見ることの出来る心を養
うのであります。このようになれば、周囲からも自然と信頼され人の役に立ち充実した人生を
歩むことが出来るのです。                         (第51号 H22.9.2)



“個の確立”
 近頃、親が子供を虐待死させる痛ましい事件が頻繁に起きている。社会の中で一番弱く、大
人から保護されるべき乳幼児や子供が、もっとも信頼し愛を受けるべき親から見捨てられたり
虐待されて命を奪われているのである。この子供たちの事を考えると、その絶望感、悲しみ、
苦しみは計り知ることは出来ない。これは、親になるべきでない大人があまりにも多いというこ
とだ。つまり体は大人だが、心が成長していない人間が増えているということである。人間、体
が成長すれば心も自然に成長するというものではない。人間の心の成長には親からの愛情と
愛情による信頼関係を土台とした躾けが必要であると思う。躾けとは“身を美しく”と書くが、ま
さに心が身体を制御し振る舞いを正していくことである。身体の欲望(自己中心の)に心が打ち
勝ってこそ心が強くなり自分を制御し人の役に立つ一人前の大人になれるのである。この個の
確立が出来ていないで結婚をしたり、子供をもったりすると家庭内に様々なトラブルが発生す
るのである。子供は親を選ぶことはできない。親も子供を選ぶことはできない。まさに、命は天
から授かったものである。だからこそ自分の命も人の命も決して自分勝手に扱ってはならない
のである。                                   (第50号 H22.8.3)




“掃除について”
  最近、「トイレの神様」という曲がヒットしている。トイレには美人の神様がいてトイレを掃除
すると美人になれるのだそうです。トイレは汚物を排泄する臭くて汚い所なので出来れば掃除
するのはいやなものです。しかし、人がいやがる場所を敢えて掃除することで心が磨かれると
いうことだと思います。禅宗には“浄穢不二”(じょうえふに)という教えがありますが、それは
浄(きよ)いもの穢(けが)れたものという物の見方は人間が決めるもので宇宙という存在から
考えれば、本来は分けられるものではないということです。仏教では掃除を作務といい大切な
修行のひとつとして考えています。以前、荒れた学校で校長先生が率先してトイレ掃除をして
学校を建て直した、という話を聞いたこともあります。武道塾では現在、一般クラスの人たちが
毎回稽古のあと全員で道場の掃除をしていますが今月から月の最後の週には各クラス稽古時
間を少し早く切り上げて全員で道場の掃除をすることを修行の一環としていきたいと思います。
        (第49号 H22.7.2)




「礼に始まり、礼に終わる」
  武道は「礼」をとても大切にします。それは武道が武術という人を倒すための技術を稽古す
ることを通して人格を完成させていく道だからです。「礼」の心がなければただケンカの練習を
しているのと同じで、危険な人間を作ってしまうだけです。このように武道は危険なものだけに
厳しさや真剣さが必要とされ 心身の鍛錬にとても有効です。
 そして、強くなることによって自信が生まれ心に余裕が出来、真のやさしさを持つ事ができる
のです。そのためにまず道場に入る時「よろしくお願いします」の挨拶をしますが、これは"今
からここで修行させて頂きます"という気持ち、そして「正面に礼」は"自分を生かしている神仏
を敬い立派な人間になります"という気持ち、「お互いに礼」は"みんなと一緒に修行させてもら
います"という 感謝の気持ち、また試合や技の稽古を行う相手に対しての「礼」など常に「礼」
をする事によって心構えを正していく事が大切なのです。
                                 (第48号 H22.6.3)



  先月は初めてニンジャキッズの野外訓練を行いました。武道塾周辺は里山に囲まれ自然環
境に恵まれているのですが、近年森で遊ぶ子供の姿はすっかり見ることがなくなりました。里
山を散歩していると見かけるのは年配の方々と犬の散歩をさせている人ばかりです。私は子
供の頃よく森の中で遊んでいました。森の中は知恵ひとつで色々な遊びができるのです。私に
とって 森の中は、おもちゃ箱の中にいるようなものでした。ニンジャキッズの子供たちにも森の
中で知恵と想像力を使ってワクワクするような体験をたくさんしてほしいと思っています。
そして子供達に自然の中から多くの事を学び情緒を育んでいってほしいと思います。     
       (第47号 H22.5.1)




  春といえば夢や希望にあふれた季節ですが、今年は大卒の就職内定率80%という数字が
示すように、なかなかそうも言っていられない不景気な厳しい年回りとなっています。先行きが
不透明なこのような時代は周りを見れば見るほど不安に陥ってしまうものです。ですからこのよ
うな時は周りを見るよりまず自分自身をしっかりと見つめ直すことが大切だと思います。
 お釈迦様は亡くなる時に不安がる弟子達に「自燈明、法燈明」と説いています。これは「真に
拠り所(よりどころ)と出来る自己を確立し永遠に不変なる真理を拠り所とせよ」という意味で
す。冬の時代はいつまでも続きません。冬の次には春が来るのです。しかし冬の期間にじっと
耐え忍び力を蓄えた者が春になり美しい花を咲かせる事が出来るのです。私は世界中の人々
にとって今迄にない素晴らしい春の時代を迎えようとしているのを感じます。
 しかしその前に私達の今日までのあり方を反省しなければなりません。今はまさに“みそぎ”
の期間です。次の時代をしっかり見据えて準備をしていかなくてはなりません。愚痴や不満を
言っている暇はありません。私自身が変わらなければならないのです。この瞬間が明日を決め
ているからです。
                                   (第46号 H22.4.3)
  


“一期一会”
  3月は卒業式のシーズンであり、別れの季節でもある。人生は出会いと別れの連続。
だからこそ縁を大切にしたいと思う。武道塾で一緒に稽古が出来るのもよほどの縁あってのこ
と。一人一人には幼児であれ大人であれ、私が持っているもの全てを伝えたい。そんな思いで
稽古に臨み精一杯の努力をしている。だから時には厳しくする事もあるが、それは決して適当
には出来ないからである。
  3月は武道塾でもそれぞれの事情で退会する人もいる。別れは寂しいものであるが、未練
はない。「来るものは拒まず、去るものは追わず」の主義だからである。こう言うととてもクール
に聞こえるかもしれないが、その人に精一杯の思いで接した事は心の財産として貯蓄される
からだ。人生、あの世に行くまでに一期一会の財産をどれだけ多く貯蓄できるか、今から楽し
みである。                                   (第45号 H22.3.6)



「つながり」
  “無縁死”という言葉をご存知だろうか。
死んでも誰も引き取り手のいない無縁仏の事である。近年、無縁死が急増しており年間32000
人にも上るそうである。人間にとって一番強いつながりである親子・家族のつながりさえも希薄
な社会となってきている。これも戦時中の全体主義の反動として、個人の自由の権利を強調し
た個人主義社会の成れの果てであろうか。合気道では「つながり」を大切にします。「つなが
り」は合気をかける上での絶対条件だからです。対立して生まれるのは怒りや憎しみである。
つながる事によって第三のものが出来、発展する。だから、合気で投げられると頭にこないば
かりか、なぜか気持ちが良い。さわやかである。天(神仏)を敬い地(自然)に感謝し人と和す
る。この天・地・人の三つとのつながりが人間幸福の土台となるものだと思う。
                                         (第44号 H22.2.3)



  新年おめでとうございます。
我が家は、毎年正月2日に寒川神社に初詣に出かけます。
今年は例年になく参拝者が多く混み合っていました。これも、不況の影響でしょうか。皆、旅行
も控えて神頼みということかもしれません。日本を仏教の国という人もいますが、実際は神道
の国だと思います。なぜならば、神社や祠(ほこら)など神様を祀った社(やしろ)は日本中あら
ゆる所に数え切れないほどあります。神道は大和民族独自の宗教で日本文化の根っこです。
  しかし、仏教やキリスト教などのように経典がありません。神道の教えは日本人の生活の
中に習慣化されていて、和を尊び勤勉で礼儀正しくきれい好き、などの日本人らしさはまさに
それであると思います。今、欧米の国々では日本文化にとても関心と理解が高いのですが、
肝心の日本の若者たちは自国の文化の素晴らしさを知らず、欧米文化を追いかけている有
様。私は日本文化に誇りを持ち、愛国心を持った日本人らしい日本人を多く育てたいと思って
います。自分の国に誇りを持ち愛することができない人は、真に世界を愛することは出来な
い、というのが私の信念だからです。
                                       (第43号 H22.1.7)




  毎年、住まいの近くのいちょう並木の紅葉をとても楽しみにしている。
あの見事な山吹色は秋の静けさの中にやさしさとぬくもりを感じさせてくれる。初夏の目に眩し
い青葉もいいが、晩秋の紅葉は味わい深い。果物などは腐る少し前が一番おいしい。人間も
晩年になると円熟し味わい深い人格になるはずだが、日本の社会は高齢者をお荷物扱いにし
ているような気がする。また、高齢者の方々も社会や日本の未来に関心を持つというよりは自
分の趣味や生活に目が向いている傾向が強いのではないだろうか。私も人生の折り返し地点
をすでに過ぎ後半に向かおうとしているが年々歳を取るのが楽しみである。確かに身体は老化
してはいるが日々の稽古のお陰で常に新しい発見があるし今まで感じられなかったことが感じ
られるようになったりと、毎日がとても新鮮である。人生の晩秋はあの見事な紅葉のように味
わい深い円熟した人間となり、培ってきた知恵と技を持って人々に喜びと感動を与えられる生
き方をしたいものである。  
                                      (第42号 H21.12.3)



 先月、道場でお化け退治屋敷なるものを行いました。一般のお化け屋敷はお化けを見て恐
い体験をするだけですがこちらは違います。恐いお化けに立ち向かって、"降参のお札"をもら
ってこなければなりません。人は「コワい、コワい」と思うと想像を膨らませて恐怖心が大きくな
ってしまいます。コワいものから逃げず恐れず、立ち向かう心を持った時、それはお化けでなく
なり正体がはっきり見えてくるものです。そのために何事も恐れず一歩前へ出る勇気を養うこと
が大切なのです。実は、そんな目的で企画した今回の「お化け退治屋敷」でした。       
                                        (第41号 H21.11.2)





  先日、「禅」という映画を見ました。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元禅師の生涯です。禅の
教えは武術の奥義に通じるもので、昔日の武術家が参禅をし「剣禅一如」を唱えたのもよくわ
かります。剣も禅も執着心を断ち一瞬一瞬に生きることを大切にします。茶道の「一期一会」も
同じ意味です。私は、少林寺拳法をやっていたので禅には関心があり、禅寺に座禅修行に行
ったこともありますが禅寺の玄関にはよく「照顧脚下」という言葉が掲げられています。単純に
読めば、"玄関で履物を揃えなさい"ということですが実はもっと深い意味があります。人間は
とかく自分に都合が悪いことがあると人のせいにしてしまいがちですが、何事もまず己自身を
見つめ正すことが大切。それによって周囲は自然と変わってくる。自己を確立することが修行
の面目である、ということです。自己を確立するということは書物を読んだりして知識を身に付
けることではなく、本来の自己に出会うことです。そのために今日までの様々な"心のあか"を
落としていかなければなりません。それは自分の“我”を否定することです。これが修行の道で
す。本来の自己とは神仏が宿るところであり、この自己と共にあれば心に不安がなく平安な心
で生きていくことができるのです。すなわち、天国、極楽はどこかにあるのではなく自分の心の
中にあるものなのです。武道は型の稽古を通して心身の癖を取り、真の自己を見つめていく道
です。そのためには何よりも素直な心を持って稽古に励むことが大切です。
                                        (第40号 H21.10.6)




  先月、妻の実家(丹後)へ行った帰りに京都の東山にある坂本龍馬の墓に行きました。墓前
で手を合わせると何か心に迫るものを感じました。龍馬に「もっとしっかりせにゃいかんぜよ」と
云われたように思いました。小さい頃泣き虫だった一介の浪人が、命を掛けて行動することで
新しい日本をつくる為に重要な役割を果たしたのです。33歳で非業の死を遂げましたが今でも
龍馬を慕う人々の墓参は絶えません。人生長く生きたというだけでは立派な人とは云えませ
ん。何の為に人生を捧げたかによって価値が決まるのだと思います。学校では「命の大切さ」
を教えようとします。もちろんそれは必要なことですが、「命よりも大切なものがある」ということ
も当然教えるべきであると私は思います。
                                         (第39号 H21.9.2)



ー親になること、師になることー
 学校が夏休みに入り、自営業の私は娘たちと接する時間が長くなってきた。私が子どもの頃
は警察官の父が厳しい人だったので、父が家にいる時はどこか緊張感があったのを覚えてい
る。今の私は娘たちにどのように映っているのだろう、とふと想う。最近は男らしさ、女らしさ、
親らしさ、子どもらしさなど「らしさ」という言葉が失われてきている。人間関係が平面的なうえ、
どこか馴れ合い的でそこには努力や責任感というものが感じられない。私は家庭では父親で
あり、道場では先生であるがその為、親たり得る、師たり得る努力をしなければならない責任
があると思うのである。また、子なくして親になれず、弟子なくして師にはなれない。親は子を
育てることで成長し、師は弟子を教えることで多くを学ぶ。ゆえに親は子に、師は弟子に深い
感謝の心を忘れてはならない。「殺せ殺せ我が身を殺せ、殺し果てて何もなき時、人の師とな
れ」これは有名な禅僧の言葉でありますが、人を教え導く立場の者の心得として肝に銘じ努力
していきたいと思っています。                       (第38号 H21.8.4)
    




  先日、注文していた夏用の袴が届いた。新品の袴には、しつけ糸が念入りに入っており折り
目がくずれないようになっている。さっそく仕付け糸を切り新品の袴を着けてみて改めて思うこ
とがありました。座敷で正座する文化の日本でアイロンもない時代に、このような複雑に折り目
のある衣服をよく考えたものだと。袴のひもは骨盤をしっかり締めてくれて腰が決まり動作が安
定するが、立ち居振る舞いの時にはいちいち折り目を気にしなければならない。また、裾を引
っ掛けたりかかとで踏んで転ぶ危険性もある。しかし、袴を着けてすり足で体捌きを行う姿は実
にうつくしく映えるのである。やはり日本人は合理的というより、美を大切にする情緒的民族な
のだろう。日本文化の象徴である日本刀も折れず曲がらずよく切れる最強の刃物であり実に
美しい芸術品でもある。日本を代表する武士の生き方においても、未練、見苦しさを嫌い潔さ
を大切にして美しく生きようとした。利と合理性を追求してきた西洋文明も先が見えてきてい 
る。今後、益々日本文化を見直すべき時代になっていくことであろう。
                                       (第37号 H21.7.5)


  心の力について知っていますか。思いは現実化するということです。自分の願望を毎日、口
に出して唱えたり頭の中でイメージし続けると、潜在意識にインプットされ具体的に願望実現に
向けて様々なチャンスや出会いが訪れてくるのです。私はこのことを15年前に知ってから、自
分の目標を明確にイメージして “必ずなる”と信じてコツコツと努力してきました。そうしてみる
と、思いもよらない出会いやチャンスが訪れ目標に向かって確実に前進しています。ただ、こ
の潜在意識を使って願望を達成するには注意しなければならないことがあります。否定的な思
いは持たずいつも前向きで明るい思いを持つことです。潜在意識の畑に願望という種を蒔いた
ら、実を実らせるために肥料や水を与えなければなりません。それが日々の明るい前向きな感
情なのです。そのために特に気をつけることが日頃の言葉遣いです。日本では古来“言霊(こ
とだま)思想”というものがあり、言葉には力があるということを信じてきました。自分の発した
言葉は自分の耳にも入り、潜在意識の中に蓄積されていきます。前向きな言葉は感情まで明
るくし、潜在意識の良い肥料となり願望実現の後押しをします。否定的な言葉は感情を不安に
したり暗くして潜在意識にはマイナスに働きます。また、経験からいうと願望が実現する前には
大きな試練がきます。そして、もうダメだという状況に追い込まれます。その時に否定的になっ
てあきらめるのではなくその時の最善の努力をしていくと、パッと道が開け願望どおりの風景
が現れてきます。
  私はこのような経験を何度もしているので試練がきたら逆にチャンスだと思うようになりまし
た。潜在意識は宇宙の根っこに繋がっていると聞きます。深く瞑想に入り潜在意識の根っこま
で掘り下げていって人間の本質さらに宇宙の本質を見極めた人のことを“悟りを開いた人”と呼
ぶのでしょう。行動を伴わせながら少しでも近づきたいものです。        
                                         (第36号 H21.6.8)

                                      


  5月5日は「子どもの日」である。私はいつも思う。子どもは社会の宝、国の宝、そして人類
の宝であると。だから私は48歳になっても子どもたちと戯れながら稽古をしている。日々、道場
で宝に囲まれ何と贅沢な毎日を送っているのだろう。しかし子どもは、怖い存在でもある。なぜ
ならば、子どもたちは大人のすることをよく観察しているからだ。そして大人の真似をする鏡の
ような存在である。子どもは言葉だけでは言うことを聞かない。言葉で言うよりもやって見せる
ことが重要なのである。だからこそ子どもたちとの稽古の場は私にとって楽しいだけでなく真剣
勝負の場でもある。私は毎日自らにこう言い聞かせている。「きのうの自分に今日は勝つべし」
と。                                       (第35号 H21.5.6)



  また、桜の季節がやって来た。
私はこの時期になると祖国日本の為に散っていった英霊たちのことを思わずにはいられない。
今から64年前、日本海軍の象徴でもあった、戦艦大和が米軍の本土上陸を阻止する為に戦
艦特攻を行い沖縄へ向かう途中で3000名の乗組員とともに撃沈されたのは4月7日である。
戦後、日本は経済大国として奇跡的復興を遂げましたが道義や礼節を重んじ勤勉なかつての
日本人の魂は死んでしまいました。いったい日本人はあの戦争から何を学んできたのでしょう
か。戦争の責任を特定の人に背負わせ、ただ戦争反対を叫び過去を遠ざけてきただけなので
はないでしょうか。悲惨な歴史を繰り返さず多くの犠牲を無駄にしない為にも平和な時代にこ
そ過去を冷静に見つめ直し、百年先のことを考えて今の努力を怠らないことが大切であると思
います。
                                         (第34号 H21.4.2)

       


  日本映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞して話題を呼んでいる。すべての人はいずれ死
を迎え"おくられるひと"となる。しかし日々の生活の中で自分の"死"を見つめて生活している
人がどれだけいるのだろう。出来れば自分の"死"というものを考えたくないのが人情である。
私は二十歳前後の時、三人の先輩と友人の"死"に遭遇しました。そんなことから、自分の"死
"や人生について真剣に考えるようになり様々な宗教、哲学の本を読んだりもしました。その結
果、天から頂いた命であるから世の中の為に使いたいと思うようになりました。人は生まれた
瞬間から一日一日"死"に向かって生きている。これは誰もが避けることの出来ない大自然の
理である。ならば"死"と正面から向き合ってこそ、生きることに真剣になり充実した人生を送れ
るのではないだろうか。                           (第33号 H21.3.3)



 先日、心理カウンセラーの会で呼ばれ古武術講座を行いました。
古武術の身体操法、術理がカウンセリングに通じるということでとても好評でした。武道塾にも
障害を持った塾生が何人か稽古をしていますが精神面での安定などそれぞれ良い結果が現
れているように思います。また、先月から介護関係の仕事をしている塾生を中心に「古武術介
護研究会」を始めました。介護の現場にいる方々の意見を聞きながらどのようにしたら身体を
壊さずに安全にかつ気持ちよく介護ができるかということを研究していきます。古武術は自然
で合理的な身体運用によって相手のバランスを崩して倒す技法なのでこれを逆に用いることで
介護する側も受ける側にも負担の少ない介護法が出来ると思い、今後月一回のペースで開催
していく予定です。それから、毎週火曜日のレディースクラスにおいては「健康・美容・護身」を
テーマにしておりこれまでのエクササイズとは違い身体を芯から動かしながら整えていき日常
生活にも応用できる身体操法を身に付けられるよう指導しています。
 大和流体術は和の精神と日本古来の身体操法を基本にしていますので武術としても優れた
力を発揮しますが身体文化として様々な人間生活全般に良い影響を与えていける可能性を秘
めています。
                                         (第32号 H21.2.1)


 新年あけましておめでとうございます
2009年を迎えましたが昨年のサブプライム問題以降、世界中が大きな穴に入り込んでしまっ
たような閉塞感に陥っています。人は病気になって初めて今までの生活習慣を反省するよう
に、今人類も物欲を中心として発展してきた世界経済のあり方を反省すべき時に来ていると思
われます。経済的に豊かになって先進諸国は理想郷となったでしょうか。日本においても犯
罪、自殺、家庭崩壊、孤独、少子化問題など課題は山積みです。今人類は、個人主義、民族
主義、国家主義からの脱却が願われているように思います。目指すべきは「地球主義」。自然
界も含めてすべてが幸福になれる価値観、社会、経済システムを早急に構築することが迫ら
れていると思われます。個人においても会社や政治家のせいばかりにして無責任でいるので
はなく新しい時代を自ら悟って、自らの生き方を変えていく努力が必要だと思います。どのよう
に変わればよいかは自らの心の一番純粋なところにたずねていけば答えは見つかるはずで
す。すべては宇宙の背後にある偉大なる存在の計画だからです。                 
                                         (第31号 H21.1.5)
                     
   
           ―足洗いについて―
 私が武道塾で子供たちとふれあう時間は週一回の一時間位の短い時間です。その中でただ
武道の技を教えるだけでなく、人を大切にすることをどうしたら教えることができるかと思い稽
古の後、子供たちの足を洗うことにしました。日本では「足を洗う」とは「心を入れかえる」という
意味です。また、キリストも弟子たちの足を洗ったと云われています。私は子供たちの小さな足
に「この子を道場に連れてきてくれてありがとう、そして家まで無事に運んで行って下さい」とい
う気持ちを込めています。足洗いを通して気付いたことは、子供たちの足を洗うことによって私
自身の心が洗われているということです。足洗いは今後も続けて四季の森武道塾の伝統にし
ていきたいと思います。
                                        (第30号 H20.12.3)



  先月は剣術(鹿島神傳直心影流)の奉納演武、今月1日2日は合宿の為、茨城県の鹿島神
宮に行ってきました。一般の人々にはあまり知られていませんが鹿島神宮は日本武道の聖地
です。それは、鹿島の神様が武術に秀でた方であり日本武道の根幹たる剣術が鹿島の神官
によって創始され、伝えられてきたからであります。日本の三種の神器の中にも草薙の剣があ
るように刀は日本民族にとって単なる武器ではなく、神が宿るものであり刀をもって自らの邪心
を太刀切り技を練ってきたのであります。ですから昔から刀は武士の魂と云われてきました。
日本の観光地では、どこでもお土産屋に木刀が置いてあります。日本人の刀好きは先祖から
のDNAなのかもしれません。
          (第29号 H20.11.5)



  先月は、四人の中学生が初段に合格し黒帯となりました。
四人とも小学生の時から始めて五年半以上の稽古歴のあるメンバーたちです。武道塾にとっ
ても小学生から続けてきて黒帯となるのは初めてのことなので大変嬉しいことでした。大和流
体術では合気の崩しの基本原理が理解できる段階が黒帯となっています。ですから最低中学
生以上の基準となるのです。小学生の段階では合気の理解がまだ難しいので、小太刀や拳法
で体捌きを身に付けながら身体の基礎を作り、柔術の稽古で関節技や体術の基本を身に付け
ます。小学校の体育館で護身術を教え始めてから五年半、今回初段を取得した子供たちと共
に稽古を重ね試行錯誤しながら今日の大和流体術を体系化してきました。私も日々稽古を積
み重ね進化していくことを固く決意して取り組んでいます。ですから間違いなく大和流体術は、
もっともっと進化し発展していきます。                 (弟28号 H20.10.1)

                        
 
  四季の森武道塾では大和流体術の稽古をしています。
大和流の「大和」とは古代の日本のことです。「大和」と書いて(やまと)と読む。これは当て字
ですが、聖徳太子の憲法十七条の第一条が「和を以って貴しとなす」とあるように、わが国は
古来より和を大切にする文化なので、このような漢字を用いたのだと思われます。大和流体術
では、三つの和が大切だと考えています。一つ目は「天と和する」ことです。人は目に見えない
存在にいつも支えられ生かされています。この目に見えない存在に対し尊敬と感謝の心を忘
れてはいけません。二つ目は「人と和する」ことです。自分も他人も天によって生かされている
以上、勝手に人を傷つけ生命を奪う事は絶対に許されません。人と人が相和してこそ、天は喜
び平和が保たれます。三つ目は「自然と和する」ことです。自然は人が管理できるものではあ
りません。人のおごった心が自然を破壊し自滅の危機に陥らせています。
                                         (第27号 H20.9.1)



  北京オリンピックを目前にスピード社の競泳水着が注目を集めている。この水着は身体密着
し着用に30分もかかるが確実に記録が伸びる有難いアイテムだ。なぜ、このきつい水着で記
録が伸びるのだろうか。そのヒントが昔の日本人の衣装やアイテムにある。腰帯に袴(はか
ま)、手甲・脚半、たすきにハチマキなど皆、身体を締めつけるものばかりだ。実は身体を締め
付けることで骨に集中する事ができ骨に沿ってついている深層筋をダイレクトに使う事ができる
のである。深層筋は全身を効率よく連動させ大きな力を出す事が出来る筋肉である。     
 日本には「コツ(骨)をつかむ」という言葉があるが、これは骨の集中の仕方であり日本は筋
肉より骨の身体文化であるといえるだろう。古いものの中に最も新しいものがある。まさに温故
知新である。 
                                         (第26号 H20.8.1)



 先日、秋葉原で起きた無差別殺人事件は、犯人が自分の不幸を親や会社や社会のせいに
して自暴自棄の末の犯行だったように思います。この犯人は常に周囲との比較の中で自分を
評価してきた人のようです。今、世間では格差社会だの勝ち組み・負け組みだのという言葉
が作り出され、多くの人が右往左往し本当の自分を見失っているように思います。しかし、他と
の比較の中で幸せを求めても本当の安心と平安を得ることは出来ません。大切な事は他との
比較ではなく自分自身に打ち勝つ事で、自分も人も信頼する事の出来る自己を確立する事で 
はないかと思います。そうすることで心から不安が消え周囲からも大切にされて喜び多い人生
を送れるものと確信します。
                                         (第25号 H20.7.1)


                                         
 先月の中国の大地震では、自然災害とはいえ未来ある子供たちが犠牲になり大変胸の痛む
ことです。道場にもたくさんの子供たちが来ていますが、私にとって子供たちと接している時間
は本当に楽しく、貴重なひとときです。武道を教えてはいますが、同時に子供たちから多くの事
を学んでいるのです。一人一人の子供は社会の宝であり希望であります。そんな子供たちに
接して「先生」と呼ばれることに責任を感じ日々襟を正しながら歩む毎日でありたいと思ってい
ます。私にとって子供たちが師匠であります。              (第24号 H20.6.2)



 青葉芽吹く季節、陽射しがやさしく風が心地良い。道場の裏の森ではうぐいすが鳴き地球の
生命の躍動を感じる。私たちは地球というひとつの生命体(ガイヤ)の一部分として生きてい
る。人間一人の身体を見たとき60兆の細胞がひとつひとつ目的を持って存在し全体の生命活
動を支えている。そうであるなら、人間一人一人も意味があってこの時代、この地球に生まれ
てきたに違いないし必要のない生命など存在するはずはない。皆、地球が必要としている生命
である。しかし、その地球を人間が今、傷つけている。まるで人の生命をおびやかすガン細胞
のように。皆が地球に対して何が出来るかを考えるようになれば世界は変わる。私は、地球に
とって免疫細胞でありたいと思う。                     (第23号 H20.5.2)



 桜の季節がやって来た。桜の開花時期に、これだけ関心を持っている国は日本以外にはな
いであろう。日本人は桜が大好きである。桜は短い時期に一斉に咲き、見事に散る。このいさ
ぎよさは、日本人が今も敬慕してやまない武士道精神に通じるものである。しかし現在の日本
社会は、それとは反対にいさぎよくない人間が多くなっているようだ。問題を起こしても責任を
とろうとしない輩が横行している。損得勘定で生きている人間が多くなってしまった結果であ
る。人生、損得を超えて美しく生きたいものである。この季節、桜の下で宴会もいいが、今の日
本人にとって桜から学ぶべ き事はあまりにも深く重要である。     (第22号 H20.4.2) 
                




 三月は卒業シーズンです。公教育の場にありながら国旗掲揚、国歌斉唱を拒む教師が今も
います。私が通っていた小学校では、毎週月曜日の朝礼の時は全校生徒ならび職員が校庭
に整列し、上級生が「君が代」に合わせて日の丸をうやうやしく掲揚し、皆がそれに注目すると
いう事が当たり前に行われていました。私は子ども心に国旗、国歌というのは貴いものだとい
う事を自然に教育されてきたように思います。国旗、国歌を敬うという事を通して日本人として
の自覚と連帯感を持たせるという事が、今の日本人に欠けている公共心の土台になると、私
は考えています。武道塾では、昇級昇段審査の時には毎回国旗に一礼を行い国歌を歌いま
す。そして塾生たちに はこのように話しています。「ここで皆さんが学んでいる武道は、わが国
の多くの先人、先祖たちが命がけで修練し伝え残してこられた素晴らしい文化ですから、国旗
に一礼し国歌を歌うことによって彼らに感謝の心を捧げましょう。」                 
                                         (第21号 H20.3.1) 
                               


 先月、1月20日に日本武道の聖地、鹿嶋神宮の”大寒のみそぎ”に参加してきました。今年
は16才から70才代まで170名という大勢の参加者がありました。神宮側もここ数年、参加者が
増え続け嬉しい悲鳴をあげているそうです。暖冬とはいえ、気温4度の寒空に裸で池に15分近
く肩までつかりながら祝詞(のりと)を唱えるのはそれなりの覚悟がいりますが、今回参加者
の中に若者が多かった事に感心しました。戦後、欧米文化を追っかけてきた日本人が今、アイ
デンティティーを求め出しているのかもしれません。人間にとって「自分は何者で、どこから来
て、どこへ行くのか」を知ることはとても重要で生きる力の源泉となり、また、民族の歴史、伝
統、文化を学ぶということは、この答えを見つける為に不可欠であると思うのです。歴史を知る
ことは根っこを知ることであり、伝統、文化を学ぶことは栄養を吸収することなのだと思います。
私は、古武術を通して多くの青少年に日本の素晴らしい身体文化を伝えていきたいと考えてい
ます。そして、誇りと自信を持って未来へ力強く伸びていく若者を育てる事に生涯を捧げたいと
思っています。                                (第20号 H20.2.1)



 今月は、一年の始まりという事で基本についてお話をしたいと思います。
武道塾では正しく立つ事、歩く事を一番の基本において稽古をしています。人間の基本は二本
足で立って歩く事です。これらを正しく行う事が出来ると様々な身体動作が無理なくスムーズに
行われるだけでなく、脳や神経が活  性化し健康に生活することが出来るようになります。逆
に間違った立ち方、歩き方を長年続けていると筋肉に余分な緊張が生まれ身体が歪み、腰痛
や膝痛をはじめ様々な故障の元となります。では、正しい立ち方、歩き方とはどういうものでし
ょうか。人間は一日二十四時間、地球の中心に引かれる力(重力)の影響を受けて生活してい
ます。この重力と調和した立ち方、歩き方が自然で正しい姿なのです。正しい立ち方、歩き方
が身についてくると精神面でも地球との同調感 が生まれ、心が安定し穏やかになります。  
                                         (第19号 H20.1.5) 
      


 近頃、不正を働いたり犯罪を犯した時の理由に「ストレス」を言い訳に しているのをよく耳に
します。メディアもこぞって現代はストレス社会で、現代人は癒しが必要などと言っています。
しかし、江戸時代を考えてみると封建社会の中で職業選択の自由もなく、武士などは職務で失
敗すれば切腹も覚悟しなければなりませんでした。また、食事や仕事、勉学も常に正座で生活
の中に様々なしきたりや作法がありました。そういう意味では昔の方がよほどストレスは大き
かったのではないかと思います。
  現代の日本は、自由だ個性だ人権だと言いながら個人主義を助長し、わがままが横行して
人間がひ弱になっているのではないでしょうか。もちろん封建社会のようにとは言いませんが、
人間は小さい頃からのある程度厳しい躾けと、集団生活の中で規範を身に付けさせる教育  
が必要だと思います。儒教では、「正心修身斉家治国平天下」と云う教えがありますが、やは
り正しい心を持って身を修めることが、平和な世の中を築く根本となるのでしょう。        
                                        (第18号 H19.12.3)  
               


ー秋空に想うー
 はるか大空に広がるうろこ雲に目をやりながら、秋の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、
自然の恵みを実感する季節。また、森の木々も色づき始め、夏から冬へと向かう変化の中で、
心深く想いを廻らせる季節。諸行無常とは、常に変化してやまない大宇宙のことわり。しかし
人は、常に何かに執着して生きようとするために、苦が生じるというのは仏の教え。冬が来れ
ば春は近い。大波が来る前には潮が引く。だからこそ目の前にある現象のみにとらわれて、
一喜一憂していてはならない。大切なことは、常に自らの向上の為に努力し続けること。一瞬
一瞬を生き切ること。そうすれば、心から不安が消える。結果は天にゆだねるのみである。  
                                        (第17号 H19.11.1)



  今年は、お彼岸を迎えても30度を越える残暑となり誰もが地球温暖化の深刻さを肌身に感じ
ているのではないでしょうか。また近年、メディアではしきりに環境破壊の問題が取り上げら
れ、自然保護の重要性がアピールされています。自然の大切さは言うまでもなく誰もが認めて
います。しかし、人間が本当の意味で自然を保護できるのでしょうか。もちろん身近なところか
ら自然保護に取り組む事は素晴らしいことですし、それは当然やるべき事です。私は自然とい
うのは、宇宙の生命そのものだと思っています。宇宙の中で人間はちっぽけな存在であり、人
間が自然を破壊しようとすれば滅びるのは人間の方です。人間にとって自然は保護する対象
ではなく、むしろ畏敬の念を持って対し、調和すべき存在だと思うのです。人間が保護するとい
う傲慢な観点からしか自然を見ることが出来ない事に大きな問題の本質があるのではないか
と思うのです。武道塾で教えているのは、自然の力つまり重力を身につけて相手を制する武術
です。自然の力に逆らえば、自滅するのが道理です。武道塾では武術を通して自然と調和して
生きてきた、日本人の古来からの身体操法を学びながら天と和し、人と和し、自然と和する人
間教育をしていきたいと思っています。                 (第16号 H19.10.1)



 先日、妻の実家の京都へ東名高速を使って帰省しました。高速道路では玉突きによる大事
故がよく発生するので、私はいつも車間距離をしっかりとって走るように気をつけています。し
かし車間距離をこちらがとればすぐに横から割り込んで来るドライバーが多くて本当に危ない
のです。また、そういうドライバーは平気で前の車にくっついて走っているので玉 突き事故が
多いのもよくわかります。最近は、車の車間距離だけでなく人間関係での距離感を誤る人も多
いようでトラブルが絶えません。  
 武術では、昔からこの他者との距離を「間合い」と呼び真剣勝負ではこれを読み間違えれば
命がなかったわけですから大変重要にしています。心理的、物理的の両面から「間合い」を見
きることが武術修行にとって最も重要かつ最大の課題であります。ですから、日頃の人間関係
においても細心の注意をもって礼を失せず、トラブルを未然に防ぐことが大切なこととなってき
ます。                                     (第15号 H19.9.3)



 武道修行でまず第一に目標とすべきは、平常心を得る事であります。
平常心とは緊迫した状況の中にあっても平常時と変わらない心持で物事に冷静に対処できる
心の状態をいいます。正しい姿勢と呼吸で、へそ下5cm位のところにある下丹田(しもたんで
ん)に心を沈めて型の稽古を繰り返し行う事で平常心を練り上げていきます。
                                        (第14号 H19.7.30)



 武道塾で稽古をしている合気柔術は、合気道の元となった古流武術であります。これは、日
本武道の精華と云われており先人たちが鍛錬してきた武術のエッセンスが体系化されたもの
です。それは、現代スポーツとは全く違った運動理論からできており筋力に頼らず重力を自分
の力に変換したり身体を別々に働かせることで相手のバランスを崩してしてしまう事ができま
す。この精妙な技を稽古する事で、より高い身体能力を引き出すとともに柔軟でありながら芯
の通った人間性を育てるという効果もあります。                     
                                         (第13号 H19.7.2)



 武術の世界では、見えないものを感じ取って反応する事を特に大切にします。しかし近年、
パソコンやゲーム機、カーナビなどの普及により目で見て反応することに頼りすぎているので
本来、人間が持っている感性が育たない、あるいは鈍くなってしまう状況にあるようです。その
結果、たとえば場の空気が読めずに人間関係がうまくいかなかったり、危険を察知する事がで
きず事件に巻き込まれるということも起こってきます。日本人は元来、空気を読む力が他民族
よりもすぐれていて、和を大切にしてきた民族です。私は武術の稽古を通してそのような感性を
復活させたいと思っています
                                         (第11号 H19.5.7)


 昇級審査を受ける事が稽古の目標ではありません。武道の本質は、日頃の稽古を通して心
身を鍛練し世の中に役立つ自己を形成する為のものです。ですから昇級は、あくまでもその結
果として受けるもので日々の稽古に向かう姿勢こそが最も重要である事を忘れないでほしいの
です
                                         (第10号 H19.4.2)


 誓願は「昨日の自分に、今日は勝つべし」です。
これは古流剣術に伝わる教えであります。スポーツなどは一般的にルールの中で勝敗、強弱
を競う相対的評価に終始してしまうわけですが武道は「道」である以上、生涯修行であり敵は
自らの弱さであるということです。                          
                                          (第9号 H19.3.5)


 道場訓の三番目は「世の為、人の為に生きること」です。
自分の幸せの為に生きることが当たり前のような世の中で、この言葉はただ単に自己犠牲の
全体主義を奨励しているように思えるかもしれません。しかし、他の為に生きることこそ自己を
真に生かす道であるのです。
 自然界が他との関連性の中で調和が保たれているように、人間も他との関連性を無視して
生きていくことは出来ないのです。人は世の中から必要とされてこそ自らの存在価値を見出す
ことができ、真の喜びを感じることができるのだと思います。             
                                          (第8号 H19.2.5)



 日本では、お正月にこぞって神社へ初詣に行く習慣があります。
「正月」という文字は「一」に「止まる」月というように分解でき「一」とはすべての出発である
「神」を表わします。ですからお正月は皆、神様に礼拝して一年を出発するようになっていま
す。道場に掲げている「正心」の文字は、「一」に「止まる」「心」ですので神様に恥じない清らか
でまっすぐな心、と言う意味を表わします。               (第7号 H19.1.11)
 
 
 
 道場訓の二番目は「礼節を重んじること」です。
「礼」については以前、説明していますので「節」について説明します。
「節」というのは一般的には節度ある行動ということですが、これはその時その場を的確に把
握してその場に応じた行動をとるという事です。
 武術においては今、自らの置かれている状況を瞬時に判断して行動しなければ相手に倒さ
れてしまうのです。この事は護身ということからも絶対に必要なことであるとともに、人が生き
て行く上で誰もが心得ておくべきことであると思うのです。       (第6号 H18.12.7)




 道場訓の一番目は「神仏、先祖を敬い、親を大切にすること」です
この内容は人として生きて行く上で一番大切なことであり教育の根本でなければならないの
に、家庭や学校などでしっかりと教えられていないのが近年の実情です。人間にとって親、先
祖、神仏は根っこと同じです。植物も根っこを切ってしまえばいつか枯れてしまうように、人間も
根っこの部分を無視すれば未来に伸びて行く力が出てこないのです。
                                         (第5号 H18.11.9)


 日本には芸事を、型を通して学ぶという「型の文化」があります。先人が作り上げた型を繰り
返し稽古することで身体の悪い癖を修正し、自然で無理のない動きを身につけることが出来る
のです。また、型の稽古は同じ事を何度でも繰り返すので忍耐力や素直さが必要とされ、必然
的に心の修養にもなります。近年、何でも個性として尊重してしまう風潮がありますが、人間に
も人としての基本があり基本が出来た上で本当の個性が発揮されるとするなら、しっかりとし
た躾けは絶対に必要だと思うのです。癖も個性もわからない現代の日本は「型の文化」に今一
度学ぶべきではないでしょうか。                       (第3号 H18.9.2)



 武道では、特に「礼」を大切にします。 
「礼」は、人が神に膝をついて祈りを捧げる姿を文字にしたものです。ですから、礼の基本は神
への礼で、次に人への礼です。人間は、まず目に見えない偉大な力に生かされていることに
感謝してこそ、人の命の尊さを知り他人に対しても礼をもって対する事ができるのです。そして
「礼」は相手に対して畏敬の念を形に表わすことによって、無駄な争いを避けるための古人の
智恵でもあります。                               (第2号 H18.7.3)



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